前回「放生津八幡宮」を訪れた時は夕暮れが迫って焦っていたこともあって、肝腎の「奈呉の浦」石碑を探索し損ねた
ので今回熱中症ですごすごと引き返す道中の駄賃にと寄って行くことに。奈呉の浦については曾良随行日記に次の記載がある。
○十四日 快晴。暑甚シ。富山カヽラズシテ(滑川一リ程来、渡テトヤマへ別)、三リ、東石瀬野(渡シ有。大川)。四リ半、ハウ生子(渡有。甚大川也。半里計)。 氷見へ欲レ行、不レ往。高岡へ出ル。二リ也。ナゴ・二上山・イハセノ等ヲ見ル。高岡ニ申ノ上刻着テ宿。翁、気色不レ勝。 暑極テ甚。不快同然。
↓八幡宮の裏。左から拝殿、本殿、塀、塀の手前の石碑が「奈呉の浦」碑。
↓「奈呉の浦碑」
〇歌枕「奈呉の浦」
家持「東風いたくふくらし奈呉の海人 釣する小舟漕ぎ隠る見ゆ」
宗良親王「今はまた訪いくる人も奈古浦に しほたれて住むあまと知らなん」
宗祇「やとれ月今朝秋風の奈呉の浦」
芭蕉「早稲の香や分け入る右は有磯海」
↓これが現在の奈呉の浦。埋め立てられて漁連の倉庫・工場が建ち並ぶ。芭蕉が訪れた時代にはまだ白砂青松の海岸だったろう。
〇この日、高岡市「二上山」も撮影。高岡市「イワセノ」(岩瀬野、石瀬野)は目下不明。
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