〇守山は古来東山道の宿駅として栄えました。江戸時代に入り、東山道から中山道に改められた。中山道は板橋から守山までの67次で守山は最終宿場でした。江戸時代、旅人の一日の行程は八里(約32km)から10里(約40km)でした。京都三条大橋から守山までが8里6町(約34.4km)でこの行程にあたる。京都から中山道を通って江戸方面に行く(東(あずま)下り)人たちは守山で泊りました。この事から「京だち守山泊り》と呼ばれ、守山は明治維新まで繁栄しました。
↓木曾街道69次守山・歌川広重画
〇守山宿旧街道に面してある東門院。東門院は、比叡山延暦寺の東の鬼門を守るために建てられたという(守山寺の呼称あり)。比叡山延暦寺の三千坊の中で、東の端にあることから東門院とも呼ばれる。
↓仁王門
↓本堂。1986年に焼失し再建されたもの
本尊・十一面観音立像。元の本尊・重文十一面観音立像と毘沙門天像は焼失。
↓本堂右に、右から大師堂・不動堂
大師像
↓不動堂
不動堂の不動明王坐像及び脇侍童子像二体が重要文化財に指定されることになった。新聞は中日びわこ版、日付は2016.3.12
〇重文になる(もうなっただろう)不動明王坐像及びコンガラ童子立像(右)・セイタカ童子立像(左)
↓左からいずれも重文、宝篋印塔・五重石塔・宝塔(写真は守山市HPから引用)
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