2019年10月3日木曜日

★奥の細道紀行 第111章 石巻市「日和山(ひよりやま)」

奥の細道》《12日、平和泉(ひらいずみ)と心ざし、あねはの松・緒だえの橋など聞き伝えて(進路を北にとって歩いたが)、終(つい)に路ふみたがえて、石の巻といふ湊に出ず。「こがね花咲く」とよみて奉りたる金花山(きんかさん)(★註1)、海上(かいしょう)に見わたし、数百の廻船(かいせん)入江につどひ、人家(じんか)地をあらそひて、竈(かまど)の煙立ちつゞけたり。思ひがけず斯かる所にも来たれる哉と、‥‥》
★註1 芭蕉は日和山の山頂から望見した光景を書いている。いかにも金華山が見えたように書いているが、牡鹿半島・金華山は全く見えない。芭蕉の創作か思い違い(多分創作)
曾良随行日記』『(石巻に着き)四兵へ(衛)尋ねて宿す。着の後、‥‥日和山と云うへ上る。石の巻中(ぢゅう)残らず見ゆる。奥の海(今ワタノハト云う)・遠嶋・尾駮(おぶち)の牧山眼前也。真野萱原も少し見ゆる。‥‥』
〇石巻市街地から小高い小山に登るとそこが日和山だった。北方眼下に旧北上川が流れ、東日本大震災津波の爪痕が生々しく残っている。
日和山は標高60.4m。歌碑・句碑が林立。顔ぶれは、芭蕉、石川啄木、宮沢賢治、志賀直哉、斉藤茂吉、種田山頭火、釈超空。
 日和山からは、「こがね花咲く」金華山は見えない。見えるように表現したのは、芭蕉の思い違いか・お得意の創作。「尾ぶちの牧」「まのゝ萱はら」などは、旧北上川の向こうに見える山並みの中にあったらしい。奥州馬の官営牧場、萱の特産地だったろう。「袖のわたり」のことをボランティア・ガイドの人に訊いたら知っていた。石ノ森章太郎記念漫画館のラグビーボールの様な銀色に光るドームを指さし、あのドームの傍に見える橋の少し上流のあたりだが、口で説明していても分らないからあのドームの辺りでまた人に訊いてくれと教えられた。これで「袖のわたり」を get と喜んだ。安直だった。
 ↓旧北上川河口。大津波の痕跡が残る。
 ↓旧北上川。津波は、橋の上流あたりには大した被害を与えなかったと地元の人の言。
  ↓ボクの好きな石川啄木の歌碑を選んだ。


 《砕けてはまたかへしくる大波のゆくらゆくらに胸おどる洋 啄木》
 ↓宮沢賢治文学碑




 ↓鹿島御児神社。延喜式内社




 本殿を喪失している。
〇芭蕉句碑と芭蕉曾良の銅像が山頂にあるが、それについては次章で報告する。

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