2019年10月29日火曜日

★奥の細道紀行 第138章 大崎市・羽前上街道「天王寺追分」「一里塚」

〇芭蕉と曾良が歩んだ羽前上街道は新道・バイパスに取って代わられ今やほぼ全線が消滅or埋没している。ただ所々に遺跡として残っていて旧道らしい姿を現す。

↓標識に「上街道」の文字。羽前上街道に遭遇。「磯良(いそら)神社(カッパ明神)」のある所。芭蕉と曾良はこの旧道を通った。
 ↓一つ痕跡を見出すと次々に見出せる。ここから新道・バイパスを離れて極力旧道を辿る。
 ↓決定的な案内標識を発見。右奥の標識・上の赤い部分「奥の細道(上街道)」、下に「松尾芭蕉・一宿の地・岩出山」。左手前の標識・上から「天王寺追分へ」「上街道(天王寺)一里塚へ」。
今たどってここまで来た道が、羽前上街道であったことがこれで歴然とした。
 ↓矢印通り今来た道を戻ると「天王寺追分」があり、「上街道天王寺一里塚」があるはず。戻って確認した。その通り、あった。
 この地が、芭蕉と曾良が一宿した岩出山。
 ↓天王寺一里塚まで舞い戻った。


↓丘の上、中央やや右寄りに一里塚の標識が立っている。
 ↓「一里塚」
 ↓「上街道」
 ↓天王寺追分所在図
 ↓追分の下方に岩出駅がある。川は江合川。大河。
 ↓天王寺追分。追分は昔の街道の分れ道部分がこう呼ばれることがあった。牛馬を追ってきて分ける所と云うのが語意らしい。
 「天王寺追分」「陸奥上街道」


 ↓「山神塔」 道標の役割も果たしたそう。
 ↓右の石碑「上街道」。左の標識「出羽路から南部をめざすわかれ道・天王寺追分」
 ↓「天王寺追分 昔の街道、出羽街道と上街道の分岐点、大正の初期までは茶屋があり、馬を乗り換えた場所です。俳聖松尾芭蕉と曾良は、小黒ヶ崎と美豆(みず)の小島を尋ねようと、ここを西に折れ一栗(ひとつぐり)の宿まで足を運んだが日が暮れかかったので岩出山に泊ったと曾良日記に記されています。ここにある山神塔は、江戸時代に建てられたもので道標を兼ねています。」
 ↓ボクは先に一里塚に舞い戻り、それからここ天王寺追分に戻ってきた。

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