2019年10月11日金曜日

★奥の細道紀行 第118章 岩手県一関市「カッパ崖」

曾良随行日記』 『十二日 曇。戸今(登米のこと)を立。三リ(里)、雨降出ル。上沼新田町(長根町トモ)三リ(里)、 安久津(松嶋より此処迄両人共ニ歩行。雨強降ル。馬ニ乗)。一リ(里)、加沢。三リ(里)、一ノ関(皆山坂也)。黄昏ニ着。合羽モトヲル也。宿ス(一関に)』

〇芭蕉と曾良が平泉を目指して登米宿を出て、陸中・一関宿に近づいたら土砂降りとなり雨脚は合羽も通すほどだった。「曾良随行日記」にそう記してある。その土砂降りのとき通った山坂は「カッパ崖」と呼ばれる。因みに芭蕉は雨が降り出した時点で馬に乗ったらしい。曾良は分らない。この日は一日雨。

↓カッパ崖。この坂を二人は下って来た。
下り切った所
 ↓「俳聖芭蕉紀行の道」木碑
 「元禄二年五月十二日紀行(一七八九年)」
 ↓カッパ崖案内板がある。近づく。


 ↓「ここは松尾芭蕉のおくのほそ道」「‥‥。二人は‥‥出発から45日後、平泉視察の宿泊地となる一関に入る。この解説板の前を通り、大雨の中、地主町の宿に向かった。一関は芭蕉最北の宿として2泊した町であり、研究家にとっては“二夜庵”のある町として広く知られている。曾良日記と研究資料によって一関入りの状況を描いてみると、512日、登米を立っておよそ10kmから雨が降り出し、花泉町涌津で強雨となったので馬に乗る。金沢~‥‥~カッパ崖(この辺一帯の俗称)~吸川~大町と進むが、ほとんど山と坂ばかりであり、雨の強さも、合羽モトオル也の大雨であった。‥‥」
 案内板を後にする。一関市街地は間近。

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