2019年10月7日月曜日

★奥の細道紀行 第113章「尾ぶちの牧山、真野の萱原」

奥の細道》《12日、平和泉(ひらいずみ)と心ざし、‥‥終(つい)に路ふみたがえて、石の巻といふ湊に出ず。「こがね花咲く」とよみて奉りたる金花山(きんかさん)、海上(かいしょう)に見わたし、数百の廻船(かいせん)入江につどひ、人家(じんか)地をあらそひて、竈(かまど)の煙立ちつゞけたり。思ひがけず斯かる所にも来たれる哉と、‥‥》
曾良随行日記』『(石巻に着き)四兵へ(衛)尋ねて宿す。着の後、‥‥日和山と云うへ上る。石の巻中(ぢゅう)残らず見ゆる。奥の海(今ワタノハト云う)・遠嶋・尾駮(おぶち)の牧山眼前也。真野(まの)萱原も少し見ゆる。‥‥』

↓手前中央の水は旧北上川。右端の崖のさらに右は太平洋が開けている(太平洋を写し損ねた)。芭蕉は太平洋の奥に「金華山・牡鹿半島」が遠望できるかのように書いているが、実際は見えない。
地図で探すと、向かいの山の奥に「(おぶち)の牧」があったらしい。駮は「まだら」という意味。官営牧場に尾のまだらな馬が飼われていたらしい。
 ↓北上川の向いの山を左にたどる。地図で定位すると、こちらの山の向うに「真野の萱原」があったらしい。萱はこの時代、大事な産業資材だった。
★異常の写真は、平地に下りて撮っている。日和山の上から写せばもっと景観はダイナミックだったろう。

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