2019年10月17日木曜日

★奥の細道紀行 第122章 平泉「弁慶の墓」

弁慶の墓 武蔵坊弁慶は「義経記」の中で大活躍する。しかし、吾妻鏡をはじめ数ある軍記歴史書にはほとんど名前が見えない。わずかに★〇〇〇に一カ所ぽつんと名前だけが見えるのみ。義経に忠義を尽くし衣川で英雄的討死を遂げたという弁慶の実在性には疑問がある。
弁慶の墓について、《奥の細道》も『曾良随行日記』も平泉の段で全く触れていない。
↓中尊寺門前(寺務所の前)・参道月見坂登り口の手前にある武蔵坊弁慶の墓。
 ↓刻字は「武蔵坊弁慶之墓」
 ↓「武蔵坊弁慶大墓碑 建立由来 文治5年(1189)義経の居城高館焼打されるや、弁慶は最後まで主君を守り、遂に衣川にて立往生す。遺骸をこの地に葬り五輪塔をたて、後世中尊寺の僧・素鳥の詠んだ石碑が建てられた。《色かえぬ松のあるじや武蔵坊》」
 ↓「特別史跡・中尊寺境内飛地・伝弁慶墓」の碑



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