2013年11月6日水曜日

〇8/8(木)出石城下町・散策。幕末・桂小五郎の潜伏先発見。

〇出石の街中を散策するのは、トレンディな観光コースになっている。ボクも、出石城から下りた後・夕暮れまでのひと時を歩いてみることに。
↓出石町の観光スポットで最も有名なもの、それはこの「辰鼓楼(しんころう)」


 裏に(表か?)時計が付いている。午後5時35分を指している。
 ↓出石の市街には、蕎麦屋が多い。『出石そば発祥の由来』の案内表示があったので、その一部を抜粋。「仙石氏の第4代政明公は信州上田城主だったが、1706年・但馬出石の松平氏とお国替えになり、出石に入部した。政明公は大変そば好きで、その際・信州一の蕎麦打ち名人を伴って入国し、そばを但馬・出石に広めた。そして永年に亘り改良と技術研鑽を重ね、出石焼きの小皿に盛り付ける独特の《出石皿そば》を創出し・今日に受け継いできた」

↑↓「おりゅう灯籠  昔の出石川は現在の三倍以上の川幅で水量も多く交通運輸は主として川筋を利用し、藩幕時代には播州・美作・丹後の一部にまで及び、それらの藩地より取り立てる年貢は車馬・人力・川船によって輸送されました。この灯籠は日本海より遡上する夜間の船行の灯明台として役立ち荷揚げ場になっていた幕末まではその下手に北に延びた約七、八間の幅の石段が築かれ、北側の川端は蔵屋敷・塩倉などが並んでいました。現在でもこの灯籠が今なおその当時を偲ばせています」
幕末・京都で禁門の変に敗れた長州が都落ちした時、桂小五郎はここ出石の民家に匿われて潜伏生活を送った。その潜伏先が残っているというので探索したが・見つからない。重い足取りで街中を歩いていたとき、↓このポスターに出逢った。凄く面白かったので撮影。なお「川崎尚之助」とは・今放映中のNHK大河ドラマ「八重の桜」に登場した八重の会津時代の夫である。
出石の人達は親切。何人かのおばさん達の懇切な説明を受けて・何とか桂小五郎の潜伏先に辿り着いた。真ん中の奥まった小さな家がそう。人が住んでいる。家の前に石碑があり、それに桂小五郎の潜伏先であったことが刻字されている。

↓案内板には次の通り書いてある。「1864年7月・禁門の変に敗れた長州藩は朝敵となり、桂小五郎も追われる身となりましたが、出石の町人・甚助、直蔵兄弟の義侠により京都を脱出し、町内各所にかくまわれていました。当家は荒物屋を営んでいた跡です。愛人の幾松も訪れています。潜居9ヶ月、九死に一生を得た小五郎はやがて回天の大業を為し遂げ、木戸孝允と名を改め、維新の三傑と仰がれましたが、この出石こそ・桂小五郎の再生の地となったのです」
↓土蔵。こんな荒削りな土蔵は見たことがない。この質感・風合と色がたまらなく面白い。




↓この酒屋さんの土蔵でした。現在も酒造を行ってるらしい。
↓臨済禅の寺「願成寺(がんじょうじ)」で素晴らしいものを見つけた。

門の右手前に・ポスターで見かけたあの方が立っている。
↓ウーン、凄い存在感とリアリティ。名人の造形と彫りやなぁ。
外に二点。

願成寺の門内。
↓願成寺の前の坂を登ると臨済「宗鏡寺(すきょうじ)」がある。沢庵和尚が晩年住持したので別名「沢庵寺」。残念ながら五時過ぎで閉門。どこからも入れない。入館料300円。

境内案内図でも見て下はれ。
以下、駐車場への戻り道で。↓案内図の山頂に古城があったそう。
出石郡役所跡。
「辰鼓楼」に戻って来た。
時刻は午後6時35分。丁度一時間・街中を足を引き摺りながら歩いていたことになる。それにしても・夏の一日は長い。活用できる。
今日一日で探訪した先は次の通り。
①京都府船井郡「大福光寺」
②同上「九手神社」
③京都府福知山市「島田神社」
④兵庫県朝来市「粟鹿神社」
⑤兵庫県養父市「名草神社」
⑥同上「妙見山・日光院」
⑦兵庫県豊岡市「出石神社」
⑧同上「出石城址」
⑨同上「出石城下町」
疲れ果てたが、充実した一日。冬場は日が短くて・とてもこんな訳にはいかない。何せ午後四時半には夕暮れとなる。

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