2013年11月8日金曜日

〇8/9(金)、「因幡国一ノ宮・宇倍神社」、鳥取市。武内宿祢命・終焉の地。

午後鳥取市に入り、因幡国一ノ宮「宇倍神社」を目指した。全国一ノ宮を探訪する志を立てているのでf^_^; 猛暑の日だった。宇倍神社は、鳥取市の郊外にある。
↓一の鳥居から参道を入って来た。左の水色車がセレナ。
 二の鳥居。宇倍神社は森の中にある。
 さらに岡の上にある。
 本殿境内に入る。
 拝殿・右と本殿・左。
 拝殿
 本殿

 拝殿右側の建物。神饌所かな。
 本殿左奥の国府神社
 ↓本殿左背後に小丘がある。由緒ありげなので探訪する。
 ↓大石に彫られた文字は「武内宿祢命・終焉之地」

 

 「双履石 御祭神・武内宿祢命は、第12代景行天皇から仁徳天皇までの五朝にお仕えされ、大臣の祖として日本の国づくりにご活躍の後、仁徳天皇55年春3月、この亀岡の岡に双履を遺し・齢360余歳にてお隠れになりました。その石を双履石と称し・命御昇天の霊石として今に伝わる当社の原点です」
双履石
〇宇部神社の由緒 祭神・武内宿祢命は、上古・景行天皇以下五期の天皇に歴任し、奥羽から九州の果てまで東奔西走・日本の発展に努力し、さらに神功皇后を輔けて日本の統一に尽力した。また応神天皇の政庁を見守りながら大陸文化を導入して平和と繁栄の礎を築き・国の功臣として我が国最初の大臣とされた。命は仁徳天皇55年、因幡国に下向し当社背後の亀金岡で双履を残し・360余歳で昇天した。この由緒をもって創建された宇部神社は、平安時代には名神大社・因幡国一ノ宮として尊崇され、明治4年には国幣中社に列せられた。また明治32年、現在の社殿が新築の折・命の尊像と共に当社全景が全国で最初に紙幣に載せられ、以後大正・昭和と五円・一円紙幣で広く国民に親しまれてきた。

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