〇《奥の細道》には「毛越寺」参詣のことは出てこない。《曾良随行日記》も「毛越寺」には一切触れていない。毛越寺に詣でて曾良がそれをメモに残さないということはありえないから、芭蕉は毛越寺には行かなかったのだろう。ただ、ボクは折角平泉に来て毛越寺に参詣しないという手はないと思うので、夕暮れ近くに毛越寺の駐車場に駆け込んだ。
↓山門
↓庫裏・方丈↓本堂。平安時代建立当初の本堂は、大泉ヶ池の向かいにあった。大金堂円隆寺と云った。
↓平安時代末期の毛越寺の伽藍配置図は驚くべき姿を顕している。左下の南大門から大泉ヶ池の中之島を支点にして二本の橋が架けられ、その参道を渡ると大金堂円隆寺があった。大金堂から池に向けて両翼の様に二本の回廊が伸びてその先・池の畔に経楼と鐘楼があった。大金堂の左(向って)には講堂があり、講堂からも池に向かって二本の回廊が両翼の様に伸びていた。金堂の向かって右側には鑓水が流れ、そのさらに右側に法華堂・常行堂があった。さらにその右側に太い車道が一直線に延び、その右側が「観自在王院」だった。
南大門跡の礎石が見える
↓南大門から池の中之島に向けて橋が架かり、島からさらに向かいの大金堂円隆寺に向けてもう一本の橋が架かっていた。壮大な規模の寺院だった。
↓中之島
↓南大門の付近に「芭蕉翁句碑」がある。左の句碑は、芭蕉翁直筆の刻字だという。右は、俳人僧侶・素鳥が建てたそう(素鳥については→リンク先http://takashikun.blogspot.jp/2015/05/blog-post_27.html)
《夏草や兵どもが夢の跡 芭蕉》
↓講堂跡へ
講堂跡
↓大金堂跡
↓大金堂跡から中之島・南大門跡を見る
池の向こうが南大門跡
↓経楼跡
↓鐘楼跡
↓大金堂跡
↓鑓水跡
↓常行堂
↓鐘楼
↓左・法華堂跡、右・常行堂跡
↓法華堂跡
↓常行堂跡
↓東門跡。この門の東(右側)に「観自在王院跡」が隣接して広がる。
↓州浜
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