『日影ももらぬ松の林に入りて、爰(ここ)を木の下と云ふとぞ。昔もかく露ふかければこそ、「みさぶらひみかさ」とはよみたれ。』
〇「木の下」 宮城野原の南、薬師堂あたり一帯の地(仙台市木の下町)。薬師堂は次の稿で紹介。
〇「みさぶらひみかさ」 「古今集」東歌〈みさぶらひ・み笠と申せ・宮城野の木の下露は雨にまされり〉に拠る。「みさぶらひ」とは「お供の方々(よ)」と云う意味。木の下という普通名詞がこの特定の地の固有名詞になった。
↓「木の下公園」 昔の「木の下」の地の一部だと思われる。
↓真ん中に陸奥国分寺・薬師堂(次に探訪する)が見えている。
↓右・芭蕉句碑
↓〈あやめ草足に結ん草鞋の緒〉
↓曾良随行日記に出てくる「大淀三千風(みちかぜ)」の供養碑
《曾良随行日記》によると、五月四日夕方、芭蕉と曾良は仙台に着き、翌日、
《五日 ‥‥三千風尋るに不ㇾ知。其の後、北野や(屋)加衛門(画工・加右衛門・俳号加之のこと)に逢い、委(細)知る。》
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