2020年2月18日火曜日

★奥の細道紀行 第284章 福井県「今庄宿」

〇旧北国街道を福井から来ると「湯尾峠」を越える。この峠、明治天皇も越えられた。湯尾峠を越えると直ぐに今庄宿。旧北国街道を今庄から敦賀に出るとき越えたのが「木の芽峠」。
曾良は別行動で先行したが、彼は今庄宿に一泊した(曾良随行日記に明記)。芭蕉と等栽が今庄宿で宿泊したかどうかははっきりしない。老人二人の旅だから、木の芽峠の難所越えを控えて一泊した可能性がある。少なくとも二人は今庄宿を通った。
↓今庄の街中に残る旧北国街道筋


 ↑↓上の古い建物の側に「御札場」があった。御札場と高札場は別物らしい。今庄でも別の所に「高札場」跡がある。
 ↓これは旅篭(はたご)建物。旧のまま。
 ↓「旅籠(若狭屋) 江戸時代の純粋な旅篭である。昔は屋根が薄板で葺いており、風で薄板が飛ばないように石が載せてあった。旅篭は本陣や脇本陣とは違い、一般庶民が宿泊する旅宿で、始めは食糧持参し薪代などを払う形態であったが、交通量が増大し庶民の旅行が多くなると、現代の旅館形式に変わった。」
芭蕉もこのような旅篭に泊まったろう。因みに旅篭は今庄宿に55軒あったそう。
 ↓「問屋」跡の表札が立っている
↓「問屋跡(大野屋) 問屋は近世宿役人の長である。問屋場で年寄の補佐のもと、帳付・馬指などを指揮して宿駅業務を遂行した。庄屋などの地方役人・町役人を兼務することが多かった。大野屋は他に右衛門佐・谷屋とともに問屋を務めた。今庄町教育委員会」
 ↓問屋跡表札の右側に建っている旧家
 ↓本陣跡




 ↓本陣跡に建つ明治天皇が宿泊された行在所
↓西(敦賀・京方面)に今庄宿を抜けようとすると 、この道しるべに出会う。



  ↓「左 京 いせ・江戸道」
 ↓「右 京 つる可(つるが)・己可佐(わかさ)道」
 ↓左・湯尾峠 右・木の芽峠(北国街道で敦賀に抜ける)と楫取(かじとり)宿(楫取宿を経由すると北陸街道を辿り栃ノ木峠を越えて余呉・木ノ本に出る)

0 件のコメント:

コメントを投稿