2020年2月4日火曜日

★奥の細道紀行 第250章 氷見市「田子浦(たごのうら)藤波神社」

奥の細道》《くろべ四十八が瀬とかや、数しらぬ川をわたりて、那古と云浦に出。担籠(たこ。氷見市田子)の藤浪は、春ならずとも、初秋の哀とふべきものをと、人に尋れば、「是より五里、いそ(磯)伝ひして、むかふの山陰にいり、蜑(あま)の苫(とま)ぶ(葺)きかすかなれば、蘆(あし)の一夜の宿かすものあるまじ」とい(言)ひをど(脅)されて、かヾ(加賀)の国に入 。
わせの香や分入る右は有磯海 》
曾良随行日記』『○十四日 快晴。暑甚シ。富山カヽラズシテ(滑川一リ(里)程来、渡テトヤマへ別(れる))、三リ、東石瀬野(渡シ有。大川)。四リ半、ハウ生子(渡有。甚大川也。半里計(ばかり))。 氷見へ欲行、不往。高岡へ出ル。‥‥
〇芭蕉は、歌枕担籠(たこ)の藤浪に心惹かれて氷見路を辿ろうとしたが、泊めてくれる家などない小さな漁村しかないと言われて断念した。この段など、例によって芭蕉の文学的虚構癖の表れかとの疑念が湧きかねないが、曾良の日記にはっきりと「氷見へ行かんと欲するも往かず」とメモ書きしてあるので、奈古の浦(有磯海)で歌枕(田子の浦の藤浪)探訪を志したのは本当だった。
↓田子浦藤波神社は氷見市にある。古代にはこの近辺は大きな湖沼地帯だった。今は干拓された田園が広がっている。「藤波神社を中心とした田子地方は、奈良時代は湖で、岸辺には藤が群生していた。越中の国主だった大伴家持は船遊びを楽しみ、和歌を詠み、万葉集に残されている。神社境内には今も数本の藤の老木が茂り、当時の面影を伝えている。謡曲《藤》はその万葉の和歌を題材としている。」
 ↓「田子浦藤波神社
↓拝殿へ。参道脇に藤の古木が生えている。
 ↓拝殿
 ↓「大伴家持歌碑」
↓「大伴家持御歌碑」
↓御歌碑の側面
藤奈美能(藤波の)影成海之底清美(影成す海の底清み)
之都久石乎毛(しず(沈)く石をも)珠等曽吾見流(珠(たま)とぞ吾が見る)》
 ↓境内の藤の古木






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