2020年2月21日金曜日

★奥の細道紀行 第293章 長浜市木之本「木之本宿}(芭蕉一宿の地)

〇芭蕉一行が木之本宿に泊ったのはほぼ確実。木之本宿は北国街道沿いにあった

↓「木之本札の辻」。藩が町民や村民に禁止事項等を周知させるため制札を立てた場所。高札場
 ↓旧本陣

 この本陣は薬商も営んでいたらしい
 ↓有名な薬の看板が今も掲示されている。「浅田飴」もある。「ばい毒」根治薬も扱っていた
 ↓「富田八郎家」。造り酒屋を営みながら庄屋も務めた
↓母屋は延享元年(1744)建立
 ↓今も日本酒銘柄「七本槍」を造っている
 ↓北国街道を真っ直ぐ南下して行くと丁字路にぶつかる。左折すると北国脇街道。右折すると北国街道。敵軍を一直線に進撃させないための工夫で、いわゆる枡形。右に見える道は北国街道ではない。小路。本街道はずっと右に折れて行く。

 〇「みぎ亰いせみち、ひだり江戸なごや道 北国街道・北国脇往還の交差点。北国街道は彦根の鳥居本(下矢倉)で中山道と分れここを通り金沢に至る。北国脇往還はここから関ケ原、大垣に連絡する」。賤ヶ岳の合戦で、秀吉軍が夜駆けして大垣から木之本に急行して来た時通った道は左から来る北国脇往還だった。右の北国街道(今の国道8号線)ではない。

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