4月朔日午前7時頃、芭蕉と曾良は鹿沼宿を発った。そして二人は直ぐに日光例幣使街道に入りそれを北上し日光山に向かった。ところで徳川将軍をはじめ諸大名たちが通るのは、宇都宮市を経由する日光表街道。それに対し日光例幣使街道は、京都から勅使が日光に下向する道であった。川越城主・松平正綱(徳川譜代の家臣)と子正信が親子二代に亘って植林事業を続けた成果。二十万余の杉苗が20年間に亘って植えられ、現在1万3000本以上が健在だという。圧巻の杉並木街道が文字通り一直線に延びてゆく。追分地蔵のY字路まで続く。そこで日光表街道と合流する。
2019年6月12日水曜日
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