↓展望庭園入口。右端のコンクリート壁は隅田川土手。
↓門を潜ると左手に蹲っている句碑。
《川上とこの川下や月の友 芭蕉》
↓隅田川下流を見る。青い橋の左袂に、芭蕉が採茶庵を出立し仙台掘に小舟を浮かべて隅田川に顔を出した堀の出入口があったという。↓隅田川上流を見る。芭蕉と曾良はここから隅田川を遡り千住宿を目指して行ったという。
↓展望公園の芭蕉翁之像
↓展望公園に展示された芭蕉庵の図の一つ
解説板によると、「深川芭蕉庵 俳誌「ホトトギス」明治42年1月号に所載の図。‥‥本図の原画は19世紀初頭前後に描かれたものだろう。手前の土橋は、《芭蕉庵再興集》所載図の土橋と似たところがある」
芭蕉は隅田川を遡上しながら「上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし」(《奥の細道》原文)と嘆いた。谷中の花は今の寛永寺谷中霊園の桜、上野の花は今上野公園の桜を指す。
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