2019年6月8日土曜日

★奥の細道紀行 第8章 ①栗橋の関所、②間々田宿

328日、芭蕉と曾良は栗橋の関所を通ってその裏手の房川の渡し利根川を渡った。そしてその日は間々田宿(ままだじゅ)に投宿した。
曾良随行日記》『(三月)廿七日、②ママダ(間々田)ニ泊ル。カスカベヨリ九里。‥‥此の日①栗橋の関所通ル。手形も断(ことわり)も不入(いれず)
栗橋の関所 正式名は房川渡中田関所(ぼうせんのわたしなかたせきしょ)。江戸時代に奥州街道・日光街道の利根川渡河地点に置かれた関所で、利根川筋に設置された関所の一つ。房川渡中田関所名の由来は、利根川を挟んで栗橋側の房川渡と中田宿の間にあったためと言われている。通称栗橋関所。
↓大正13年「栗橋関所址」記念碑設置写真《久喜市ホームページより》
↓利根川堤防工事の為の仮移転前の碑の様子《久喜市ホームページより》。背後の利根川の渡し場が「房川の渡し」だった。
↓栗橋関所復原ジオラマ《遺産文化オンライン》

間々田宿(ままだじゅく)は、江戸時代日光街道に設けられた下野国宿場。現在の栃木県小山市間々田に相当する。
芭蕉と曾良は利根川を渡った

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