3月28日、芭蕉と曾良は栗橋の関所を通ってその裏手の房川の渡しで利根川を渡った。そしてその日は間々田宿(ままだじゅく)に投宿した。
《曾良随行日記》『(三月)廿七日、②ママダ(間々田)ニ泊ル。カスカベヨリ九里。‥‥此の日①栗橋の関所通ル。手形も断(ことわり)も不入(いれず)』
①栗橋の関所 正式名は房川渡中田関所(ぼうせんのわたしなかたせきしょ)。江戸時代に奥州街道・日光街道の利根川渡河地点に置かれた関所で、利根川筋に設置された関所の一つ。房川渡中田関所名の由来は、利根川を挟んで栗橋側の房川渡と中田宿の間にあったためと言われている。通称栗橋関所。
〇芭蕉と曾良は利根川を渡った。
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