2019年6月24日月曜日

★奥の細道紀行 第25章 黒羽の館代・浄法寺桃雪邸跡

《奥の細道》《黒羽の館代(かんだい)浄法寺何がし(浄法寺桃雪のこと)の方に音信(おとづ)る。思ひかけぬあるじの悦び、日夜語(り)つゞけて、其(の)弟桃翠(とうすい・翠桃の誤記)など云(ふ)が、朝夕勤(つとめ)とぶら()ひ、自(みずから)の家にも伴(ともな)ひて、親属の方にもまね()かれ、日をふ(経)るまゝに、日とひ(一日・ひとひ)郊外に逍遙して、犬追物の跡★(註1)を一見し、那須の篠原★註(2)をわけて、③玉藻の前の古墳★註(3)をとふ。それより④八幡宮に詣ず。⑤与一扇の的を射し時、「別しては我国氏神正八まん」とちかひしも此の神社にて侍ると聞けば、感應(かんのう)殊にしきりに覚えらる★註(4)。暮るれば桃翠(とうすい)宅に帰る。②修験光明寺と云う有り。そこにまねかれて行者堂を拝す。
夏山に足駄を拝む首途(かどで)哉   》
★註(1)犬追物の跡:狐の化身である玉藻の前を追い詰めて捕らえた狩の跡といわれる場所。狐は犬に似ているところから、この玉藻追補劇のことを犬追物 という。
★註(2)歌枕。実朝の歌「もののふの矢並つくろふ小手の上に霰たばしる那須の篠原(やなみつくろうこてのえにあられたばしるなすのしのはら)に思いを馳せる。
★註(3)「玉藻の前」は美貌並びなき鳥羽院の寵妃。ある年の七夕の夜、満天の星空が突如曇り、一陣の風が吹いて宮殿の全ての灯りを消した。そして金色の光を放つ「玉藻の前」がそこに居た。安部の泰成というものに占わせたところ、玉藻は実は金毛九尾の狐の化身であることが分かり、調伏されて那須野に逃げた。しかし、狐退治に派遣された三浦介義明や上総の介に射殺されあえなく死んだ。
★註(4)那須与一が別しても我国氏神正八幡と誓ったのは那須神社ではなくて那須湯元(温泉)神社だとの説が有力。これについては後の章で説く。
〇この日(四月三日)、宿泊先となった余瀬(よぜ)の翠桃邸に行くため黒羽から20丁程後戻りしている。曾良随行日記』『四月三日 ‥‥太田原より黒羽根(桃雪宅がある)へ三里と云えども二里余也。翠桃(桃雪の弟)宅、余瀬と云う所也とて、弐十丁程あとへもどる也』
〇日を経るままに芭蕉と曾良は黒羽で13泊する。なおそのうち6日間は雨で外出しなかった
曾良随行日記』『(四月)四日 浄法寺図書(ずしょ。桃雪のこと)へ招かれる。 
五日 ①雲岩寺見物。‥  
六日より九日迄、雨止まず。九日、②光明寺へ招かれる。‥‥。    十日 雨止む。日久しくして照る。
十一日 小雨降る。余瀬・翠桃へ帰る。晩方強雨す。  
十二日 雨止む。図書(桃雪)見廻(みまわ)れて、③篠原誘引される。  
十三日 天気吉。津久井氏見廻(みまわ)れて④八幡へ参詣誘引される。  
十四日 雨降り、図書(桃雪)見廻(みまわ)れて終日。重之内(御重の弁当)持参す。  
十五日 雨止む。昼過ぎ、翁と鹿助右(鹿子畑助右衛門翠桃)同道にて図書(桃雪)へ参られる。是は昨日約束之故也。予(曾良)は少々持病気故参らず。』
『十六日 天気能し。翁、館(桃雪宅)より余瀬(翠桃宅)へ立越される。即ち、(芭蕉と曾良は)同道にて余瀬を立つ。‥‥‥』
↓「史跡・黒羽城跡(土塁水堀跡)」
 浄法寺邸は、黒羽城の三の丸にあった。



 
  庭園

 ↑「俳聖松尾芭蕉と黒羽 1689年に江戸を発った俳聖松尾芭蕉は、門人の曾良とともに「奥の細道」行脚の途中黒羽の地を訪れ、旅程中最も長い14日間逗留し、知人や史跡を訪ね、次に向かう「みちのく」の地への準備期間をここで過ごした。宿泊先は、江戸において芭蕉の門人となっていた黒羽藩城代家老浄法寺高勝(桃雪)邸とその弟鹿子畑(かのこばた)豊明(翠桃)邸であった。‥‥芭蕉は黒羽滞在中、桃雪邸に8泊している。その間、4月5日(陽暦5月23日)には雲巌寺へ足をのばし、参禅の師・仏頂禅師の山居跡を訪れ、4月9日(同5月27日)には、余瀬(よぜ)の光明寺(修験道の寺院、明治初年に廃寺)を訪れた。芭蕉と曾良は、黒羽滞在中に多くの句を詠んでおり、各所に句碑が建てられている。現在でもこの地区の道路は、芭蕉が訪れた当時の面影を深く残しており、往時俳聖が辿った足跡を訪ねることができる地である。」 
↓第17代桃雪亭々主浄法寺直之氏が建立したという庭園内の歌仙碑(黒羽文化協会発行「奥の細道」より引用)。
【石碑表面】芭蕉翁みちのくに下らんとして我蓬戸を音信(おとずれ)て猶しら河のあなた須賀川といふ所にとゞまり侍ると聞て申しつかはしける
 雨はれて栗の花咲跡見かな  桃雪
 いづれの草に啼おつる蝉    等躬
 夕食くう賤が外面と月出て   芭蕉
 秋来にけりと布たぐる也     曾良
↓浄法寺邸跡庭園の一画に句碑もある(黒羽文化協会発行「奥の細道道」より引用。黒羽町観光協会建立)。
山も庭もうごき入るや夏座敷 芭蕉》

↑赤点線の下端が浄法寺桃雪宅跡、上端が鹿子畑翠桃宅跡

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