一の鳥居
二の鳥居
↓真木神社
↓本殿境内へ
筑後川の沿岸に立地
神門
拝殿
本殿
二の鳥居
↓真木神社
↓「真木和泉守は明治維新の中心的指導者である。水天宮神職の家に生まれ早く父を失ったが、‥‥。藩政改革を企ててならず、一時水田に蟄居したが、後に脱出して東奔西走、国事に尽し諸国の志士から「今楠公」と謳われ、その中心的指導者と仰がれた。‥‥早くから薩長連合を唱えたが、時至らず、長州藩と共に倒幕の軍を起し禁門の変に敗れ、同志十六人と天王山に登り辞世の和歌を残して自刃した。大山の峰の岩根に埋めにけり わが年月の大和魂」
↓水田の蟄居跡の復元
真木和泉守の銅像↓本殿境内へ
筑後川の沿岸に立地
神門
拝殿
本殿
〇かつて天王山に登り「自玉手祭来酒解(たまてよりまつりきたるさかとけ)神社」に重文神輿舎を訪ねたことがあった。その際山頂近くに17烈士の慰霊碑があった。それが真木和泉守外16尊王攘夷志士の墓だった。
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