2019年6月4日火曜日

〇5-2(木) 久留米市「水天宮」 附録・天王山中真木和泉守外16名志士の墓

Wikiより 水天宮(すいてんぐう)は、福岡県久留米市にある神社である。全国にある水天宮の総本宮。旧社格は県社で、現在は神社本庁別表神社
天御中主神安徳天皇・高倉平中宮(建礼門院、平徳子)・二位の尼(平時子)を祀る。
社伝によれば、寿永4年(1185)、高倉平中宮に仕え壇ノ浦の戦いで生き延びた按察使の局伊勢が千歳川(現 筑後川)のほとりの鷺野ヶ原に逃れて来て、建久年間(1190 - 1199)に安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠を建てたのに始まる。伊勢は剃髪して名を千代と改め、里々に請われて加持祈祷を行ったことから、当初は尼御前神社と呼ばれた。そのころ、中納言平知盛の孫の平右忠が肥後国から千代を訪れ、その後嗣とした。これが現在まで続く社家・真木家の祖先である。幕末志士真木保臣は第22代宮司であり、境内社・真木神社に祀られている。
一の鳥居
 二の鳥居
 ↓真木神社


↓「真木和泉守は明治維新の中心的指導者である。水天宮神職の家に生まれ早く父を失ったが、‥‥。藩政改革を企ててならず、一時水田に蟄居したが、後に脱出して東奔西走、国事に尽し諸国の志士から「今楠公」と謳われ、その中心的指導者と仰がれた。‥‥早くから薩長連合を唱えたが、時至らず、長州藩と共に倒幕の軍を起し禁門の変に敗れ、同志十六人と天王山に登り辞世の和歌を残して自刃した。大山の峰の岩根に埋めにけり わが年月の大和魂」
↓水田の蟄居跡の復元
 真木和泉守の銅像

 ↓本殿境内へ
 筑後川の沿岸に立地

 神門
 拝殿
 本殿
〇かつて天王山に登り「自玉手祭来酒解(たまてよりまつりきたるさかとけ)神社」に重文神輿舎を訪ねたことがあった。その際山頂近くに17烈士の慰霊碑があった。それが真木和泉守外16尊王攘夷志士の墓だった。










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