〇裏見の滝を後にし、大谷川を渡り対岸を下流に行く。「憾満ヶ淵(カンマンヶ淵)」に着いた。
曾良随行日記『四月二日 ‥辰の上剋(午前7時半頃)、宿を出。ウラ見の滝(一里程西北)・ガンマンガ淵見巡り、漸く午(うま、正午頃)に及び、奈(那)須・太田原へ趣く』
↑「憾満ヶ淵(含満ヶ淵) 男体山から噴出した溶岩によってできた奇勝で、古くから不動明王が現れる霊地といわれる。川の流れが不動明王の真言を唱えるように響くので、晃海大僧正が真言の最後の句の「カンマン」を取り憾満ヶ淵と名付けたという。‥‥1689年、松尾芭蕉も、奥の細道行脚の途中立ち寄っている」曾良随行日記『四月二日 ‥辰の上剋(午前7時半頃)、宿を出。ウラ見の滝(一里程西北)・ガンマンガ淵見巡り、漸く午(うま、正午頃)に及び、奈(那)須・太田原へ趣く』
↓憾満ヶ淵(大谷川)の岸辺にかつて慈雲寺の堂塔伽藍があった。それらはすべて明治時代の大谷川の洪水で流された。礎石が沢山残っている。
今は再建されたこの御堂があるのみ。
↓憾満ヶ淵
↓淵沿いの小路に並ぶ地蔵の列。この地蔵は「化け地蔵」とも呼ばれる。数える毎に数が合わないのだそう。
芭蕉と曾良はこの日の正午過ぎ上鉢石町に戻り、直ぐに那須野に向けて旅立った。
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