〇旧北国街道を,埴生口から倶利伽羅峠に登ると、幾曲がりかで峠に着く。そこが塔の橋で三叉路になっている。石動・埴生口から来る道、津幡・竹の橋に下る道、そして★口に至る道の合流点。↓塔の橋。源氏方の火牛の計の実施場所だそう。
↓塔の橋付近から見た源氏山。中央彼方。手前右側の谷は地獄谷。火牛の計にかかり平家軍が落下していった谷だそう。
↓「源平古戦場・さるが馬場》の石碑。平家軍の本陣が置かれたという。
↓源平倶利伽羅合戦場
↓塔の橋。火牛が二頭いる。
↓火牛に追われて地獄谷に追い落とされる平家軍。
↓「源平合戦異例の地」石碑
↓猿が馬場。源平供養塔
↓猿が馬場。旧北国街道。
↓峠を津幡側に少し下ると、倶利伽羅不動寺と手向神社がある。
↓芭蕉句碑
《あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風》
この句は倶利伽羅峠で詠まれたものではない。越後から金沢の道中で醸成された。
芭蕉句碑
《義仲の寝覚めの山か月悲し》
この句も倶利伽羅峠で詠まれたものではない。越前・燧ヶ城で詠まれた。
芭蕉句碑
《義仲の寝覚の山か月悲し》 文字が判読し難くなっている。
↓奥の細道全句集の堂。大事な句が欠けている。《しすかさや巌にしみいるせみの声》
〇芭蕉の倶利伽羅越えと関係ある句は、《わせの香や分け入る右は有磯海》だけ。
↓津幡側に下りると、そこは竹橋口。道の駅・源平合戦の郷竹橋口がある。
↓その道の駅の火牛の凄まじいこと。傑作。