『(鶴岡から)川舟に乗つて、酒田の湊に下る。淵庵不玉(えんあんふぎょく)と云ふ医師(くすし)の許を宿とす。
あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ
暑き日を海に入れたり最上川 』
《曾良随行日記》より、
『十三日 川舟ニテ坂田ニ趣く。船の上七里也。陸五里成ト。‥‥船中少シ雨降りテ止む。申の刻(さるのこく・午後四時)より曇。暮ニ及びテ、坂田ニ着く。玄順亭(=淵庵不玉亭、不玉は酒田俳壇の重要人物)ヘ音信、留守ニシテ、明朝逢う。
十四日 寺島彦助亭ヘ被ㇾ招。俳有り。夜ニ入り帰ル。暑甚だシ。
十五日 象潟ヘ趣く。‥‥』
↓ 日和山公園に着いた。この公園に登って来たのも偶然。実は不玉亭を探し回っていたが全然宛がない。そのうち腹具合がおかしくなって公園に行けばトイレがあると思ってやって来た。ら、トイレがあり、そうして目の前に芭蕉像が建っていた。
↓芭蕉句碑が、①⑪⑫と三箇所もある。それに銅像もある。
↑「松尾芭蕉 酒田到着の地【奥の細道】
元禄2年(1689)6月13日松尾芭蕉は夕刻川船にて酒田に着く。上陸地は日和山公園灯台下あたりではないかとされている。神明坂を上り、芭蕉坂から漁師町へ抜ける。芭蕉坂はこの展望広場のすぐ下。当時、芭蕉47歳・曾良41歳。
坂田滞在中に芭蕉が詠んだ句
《暑き日を 海に入れたり 最上川》
《温海山や 吹浦かけて 夕涼》
↓ 展望台下の芭蕉坂
↓ 芭蕉銅像と句碑
↓《暑き日を海に入れたり最上川》
↓芭蕉句碑
↓「元禄二年(1689)芭蕉が奥の細道の途次、坂田の伊東不玉宅で詠まれたものである。猶芭蕉自筆「おくの細道」によると、「温海山」は「あつみ山である。‥‥」
《温海山や吹浦かけてゆう涼》
芭蕉上陸地はこの灯台下あたり。
↓芭蕉文学碑
「松尾芭蕉 あふみや玉志亭にして、納涼の佳興に瓜をもてなして発句をこふて曰く、句なきものは喰事あたはしと戯れけれは
初真桑四にや断ん輪に切ん はせを
初瓜やかふり廻しをおもい出つ ソ良
三人の中に翁や初真桑 不玉
興にめててこゝろもとなし瓜の味 玉志
元禄二年晩夏末
芭蕉が酒田在中の元禄二年(1689)6月23日、市内のあふみやに招かれて、即興の発句会を催した時の作で、芭蕉が懐紙に残しており、本間美術館に保存されている。
★酒田市役所前に標識があり、近くの
①不玉亭跡
②寺島彦助邸跡、その他に必ず着けるという。絶対行く。
①不玉亭跡
②寺島彦助邸跡、その他に必ず着けるという。絶対行く。