〇黒石寺は、陸奥国鎮守府が多賀城から北上して胆沢城に移った時にその東を鎮護する寺院として建置されたと伝承される。陸奥の古刹であり、本尊薬師如来とその周りを固める四天王像は平安前期の木造仏でいずれも重文である。
↓「天台宗の古刹黒石寺は、729年(天平1)行基菩薩の開基で、当時「東光山薬師寺」と銘うって建立され、849年「妙見山黒石寺」と改名した。そのころ、伽藍48宇を数えたと云う。この寺も、延暦・天保年間、そして明治14年に三度の家裁に遭い、本堂をはじめ伽藍の一切を失い、現在のものは明治17年に再建されたものであ。この寺の本尊は、木造の薬師如来坐像で、像には「貞観」年号の銘があり、およそ1100年前の作品として、木造像形坐像(別名慈覚大師像)とともに、国の重要文化財に指定され、収蔵庫に安置されている。‥‥ また、この寺で、旧正月七日夜から翌曉に繰り広げられる奇祭「蘇民祭(そみんさい)」は、まさに男性的壮観の絵巻物である。」
↓本堂・薬師堂
↓観音堂
↓宝物殿
〇薬師如来坐像・重文
〇四天王立像・重文四体のうち、薬師如来像の前陣に位置する持国天像と増長天像
↓御供所と鐘楼
↓本堂
〇蘇民祭。エロチックな祭りと見える。