2019年11月30日土曜日

★奥の細道紀行 第197章 鶴岡市温海町「立岩」

曾良随行日記』 『○廿六日 晴。大山ヲ立。‥‥大山 より三瀬(さんぜ)へ三里十六丁、難所也。三瀬より温海へ三リ(里)半。此内、小波渡・大波渡・潟苔沢ノ辺ニ鬼かけ橋・立岩、色々ノ岩組景地有。未ノ尅、温海ニ着。鈴木所左衛門宅ニ宿。‥‥』
立岩と矢除(やよけ)神社。
↓「名勝・立岩 当地域は、国道7号線沿いの日本海に面している集落て7名勝『立岩』や『塩俵岩』米子新港・暮坪漁港を有し又、山間地は棚田による農業を営んでいる。こんな話が伝わっている。時は12代景行天皇の時代、東北制圧に進軍した武将が一斉に矢を放ったが軍勢は地元民の援護を受け、立岩に逃れて助かったという伝説がある。立岩の下に『矢除(やよけ)神社が鎮座するほか『矢流(やながれ川)』という川もあり信仰の対象に崇めたことがうかがえる。‥‥。立岩に沈む夕日は絶景である』








2019年11月29日金曜日

★奥の細道紀行 第196章 鶴岡市「堅苔沢(かたのりざわ)」「鬼かけ橋」

曾良随行日記』 『○廿六日 晴。‥‥三瀬(さんせ゛)より温海(あつみ)へ三リ(里)半。此内、小波渡・大波渡・潟苔沢ノ辺ニ鬼かけ橋・立岩、色々ノ岩組景地有。未ノ尅、温海ニ着。鈴木所左衛門宅ニ宿。‥‥』
↓「堅苔沢(かたのりざわ)」。曾良随行日記では「潟苔沢」


↓トンネルの手前にあった案内板。「鬼かけ橋の地」と書かれている。そこで「鬼かけ橋」と思しき岩を探すが見当たらない。思うに大昔には相当沖合まで渡れる岩礁があったのではないか。それが、地震による地盤沈下で面影がなくなった。




↓この岩礁など、怪しい。大昔はこの辺りまで渡れたのではないか。
↓かけ橋の名残か。


↓堅苔沢漁港
↓霞む岬の先が三瀬

★奥の細道紀行 第195章 鶴岡市「小波渡(こばと)・中波渡・大波渡」

曾良随行日記』 『○廿六日 晴。大山ヲ立。酒田より浜中へ五リ近し。浜中ヨリ大山へ三リ近し。大山 より三瀬へ三里十六丁、難所也。三瀬より温海へ三リ半。此内、小波渡・大波渡・潟苔沢ノ辺ニ鬼かけ橋・立岩、色々ノ岩組景地有。未ノ尅、温海ニ着。鈴木所左衛門宅ニ宿。‥‥』
〇三瀬から釜谷トンネルを潜って南下し海岸線を行くと、小波渡(こばと)、中波渡、大波渡、堅苔沢(かたのりざわ)の漁村が続く。芭蕉と曾良が辿った通り。「波渡」とはいかにも物騒で不気味な地名。恐らく古来冬場の荒れる日本海に苦しめられてきた漁村だろう
〇釜谷トンネルを潜り、小波渡地区に入る


 ↓小波渡の旧道。次の地図を参照(下の太い道がバイパス国道7号線で、その上の細い道が旧道)。芭蕉は多分この道筋を辿った

 ↓「小波渡陸橋」

↓右端に陸橋が見える。漁港舟揚場を跨いでいる
↓右端にハリアーがいる
 ↓国道7号線
 ↓三瀬・鶴岡方面

 ↓温海・村上方面
 漁港付近の海岸
 ウミネコの巣

中波渡(なかばと)地区

 ↓ウミネコの巣



大波渡(おおばと)地区

〇何の変哲もない海岸線だが、芭蕉と曾良がその脚で辿った道だと思えば尊い

2019年11月28日木曜日

★奥の細道紀行 第194章 鶴岡市・三瀬(さんぜ)海岸「笠取峠」

曾良随行日記』 『〇廿六日 晴。大山ヲ立つ。‥‥。大山より三瀬(三瀬)ヘ三里十六丁、難所也。三瀬より温海(あつみ)ヘ三リ(里)半。此の内‥‥色々ノ岩組景地有り。未の剋(ひつじのこく、午後二時)、温海に着く。鈴木所左衛門宅に宿。‥‥。』
「三瀬」への道は「難所」だとある。「笠取峠」越えの道を云うと思われる。芭蕉は笠取峠を越えて行ったといわれる
「三瀬」は現地の道路案内のアルファベット表記を見ると「さんぜ」とある。
↓三瀬海水浴場


 ↓国道7号線は現代は海岸線を走りトンネルを潜っているが、昔は向かいに見える山を越す笠取峠を通っていた。三瀬海水浴場から国道7号線釜谷トンネル入口に出る道から見ている
 ↓「笠取峠(緑色)」がその難所だったろう。海岸道も海が荒れた日は難所だったろう。


釜谷トンネル。三瀬海水浴場方面へ抜ける。トンネルの上を峠道が通る
 ↓小波渡(こばと)方面に抜けるトンネル。トンネルの真上(やや右に)三角屋根の展望台が見える。笠取峠の頂上
 ↓展望台とそこに至る峠道(左から来る)が見える
 ↓笠取峠展望台
 〇笠取峠に登る道を探索。難航したがようやく発見
 ↓峠道登り口

 ↓何と崖崩れの為車両通行止め
 ↓少し通行止めの先を歩いてみる
峠道を登って直ぐの所で下を見る。県道334号(日本海東北道・酒田方面に至る)