2018年1月27日土曜日

〇1-27(土)寒波が来て、ツララが垂れた。 

今朝、北側の窓を見て驚いた。軒からツララが1mも垂れている。凄い寒波だったらしい。

それと気が付いたんだが、ボクはアトリエに寝起きするようになってからこの方「北枕」で寝ていた。枕が真北を向いている。もう20年この方じゃないか。

2018年1月23日火曜日

〇1-23(火)西部邁(すすむ)氏が多摩川で入水自決

〇一昨日、氏の遺体が多摩川河川敷で発見された。子息が発見したらしい。氏はかねて自裁をほのめかしていた。享年78。4年前に高校同級生の妻に先立たれ、自身も健康を害していた。天才的な記憶力には翳りが見られなかった。自決だった。惜しむべき人だった。保守論壇に立ちその総合知からほとばしり出る卓越した意見は白峰の如くだった。名も金も地位も命も要らぬ・始末に負えぬ高潔高邁な人だった。

2018年1月18日木曜日

〇1-18(木)日光にイザペラバードが滞在した「金谷邸」が現存している

〇日光市本町所在で今は「金谷ホテル歴史館」となり公開されているそう。ここを訪れることが、イザペラバードの旅路を辿る今度の旅の目玉になる。
↓これが歴史館
 ↓これは、イザペラバード日本紀行文に登載された金谷邸のスケッチ。明治11年の絵。
〇因みにこれがイザペラ・ルーシー・バードの肖像

2018年1月15日月曜日

〇1-15(月)イザペラバードの旅で寄ってみたい所(2)「塔のへつり」

塔のへつり(とうのへつり)は、福島県南会津郡下郷町にある景勝地。河食地形の奇形を呈する好例として、国の天然記念物に指定されている。
「へつり」とは会津方言で、川に迫った険しい断崖のことである。


2018年1月14日日曜日

〇1-14(日)イザペラバードの旅で・ボクの興趣の湧く所(1) 西会津街道下郷町「大内宿」

〇旧・西会津街道・下郷町「大内宿」
↓藁葺の茶屋が街道に妻側を揃えて並んでいる。こんな伝統的建造物群等文化財はここにしか残っていない。
 ↓溝は元は街道の中央に掘ってあったらしい。それを両脇に配置した。
 ↓子安観音堂から見た大内宿

 ↓復元された本陣建物

2018年1月11日木曜日

〇イザペラバードの辿った行程をほぼ再現

〇東京から青森まで。函館から日高・十勝は今回は辿らない。
↓東京から春日部(粕壁)・栃木を経由して日光へ。
 ↓栃木市・例幣使街道を通り日光へ。湯元に行きまた日光に戻り鬼怒川(西会津街道)を北上。
 ↓西会津地方。大内宿経由会津坂下(ばんげ)へ。会津若松・猪苗代湖を東に見る
 ↓坂下から阿賀野川を下って阿賀野町(旧津川町)。そこから舟下りで新潟へ。新潟から北東へ築地・中条・黒川経由で荒川(あらいがわ)を遡って小国街道を東へ行き、米沢盆地北端に出る。
 ↓上山(かみのやま)・山形・天童から尾花沢へ。
 ↓新庄・横手を経て秋田(久保田)へ。
 ↓八郎潟の畔を北上し米代川に出て東へ遡り、鴻巣から大舘へ。
 ↓碇ヶ関・黒石を経て青森へ。
〇イザペラバードは青森から蒸気船で函館に渡るが、今回はここまで。

2018年1月10日水曜日

〇イザペラバードのスケッチした「山形美人」(上山(かみのやま)の美女)

〇イザペラバードは紀行文の中に達者なスケッチを何点か残している。その一点がこれ。
彼女は余程この美女に感銘を受けたのだろう。上山は山形市の南・米沢市の北にある温泉地。彼女の・東北日本の山村・農村の人々の見かけに対する評価は極めて低い。背丈は低く胸は薄く・黄色くて(夏の労働で日焼けが酷かったろう)・日常生活は殆ど裸身で(彼女の旅行は夏だった)不潔で・眼病皮膚病病みが大半だったと書いている。そんな彼女の目を驚かす美人がいたのも事実だった。秋田県でも、宿の女将の美しく立派な風体とその娘達の美しさしとやかさを記述するのに筆を惜しんでない。
因みにボクが山形県尾花沢の道の駅で見たポスターの美少女はこれ。花笠踊り。


2018年1月9日火曜日

〇1-9(火) NHK「人体・骨」を見て。

〇7日(日)、NHKスペシャル「人体」シリーズ「骨」を見た。骨は単なるつっかえ棒でないことは知っていたが、化学物質(ホルモン)を全身に放出して記憶力・筋力・免疫力・精力等upの機能を司っている。若さを維持する中枢。骨密度を上げることが若さを保つ要諦。そのためには運動して骨に刺激を与えねば。歩行は好い運動。半月もヌクヌクと蒲団に包まっているような生活をしていては駄目だっ。そう言えばこの5,6年、歩行の頻度がめっきり減った。毎週旅に出て歩くからそれでいいやという考えがあったが、それではいけない。毎日適度な運動をして骨に刺激を与え続けねば。この半月は、寝たきり老人の生活と同様だった。寝たきり生活を続ければ、気が付けばめっきり老けているだろう。余生は骨に刺激を与え続け、全身に活を与え続けよう。直立二足歩行。人類を人類たらしめた運動・生活様式。これを実践しよう。今から始めよう。エストに向って出発。

2018年1月7日日曜日

〇1-7 明けましておめでとうございます。

旧年からもう半月、ブログを更新していない。そろそろ読者の中には、ボクが病気か死んだかと思う人も出かねない。ので、この辺りでブログを起します。
〇新年は戌年。ボクの干支です。ついこの間、干支が五周を終えて還暦を迎えたと思ったら、もう六周を終えて今年は72歳を迎えます。歳月は行く川の如く流れます。流石に七周目を終えることは出来ないと思います。この戌年一年間は力の限り走り切ります、その後は一年一年を後生大事に生きたいと思います。
〇グーグルマップは重宝なものです。イザべラバードの旅路――日光・会津・越後・羽前・羽後・津軽の旅路を辿るのに倍率をアップしたり縮小したりして探索すると、村々まで辿れる。バイパスでなく旧道を辿って行くのが難しそう。
〇この半月間、何をしていたかと云うと、読書し・年末年始に初孫に遊んで貰い・TVを見・Uチューブに浸っていた。基本的には暖房を効かした布団の中にヌクヌクと包まっていた。妻は旅に出ないのかと訊いてきたが、ずっと冬型気候で寒そうで、野宿の旅に出るには気合不足だった。71になると寒さがこたえる。旅に出る気になるのは、天気が好いか、暖かくなってからだなぁ。