この写真、豊国廟の位置を念頭に描くのに丁度好い。中央に見える京都市街地はほぼ七条通。三十三間堂、京都国立博物館、東西本願寺、京都駅辺り。手前左右に京都女子大が展開する。
前の写真と逆方向に市街地側から東山方面を見ている。正面の山は「阿弥陀ヶ峰」。この山頂196mに豊国廟がある。鳥辺野とは、この阿弥陀ヶ峰(鳥辺山)山麓付近を中心に、北は五条坂付近から南は今熊野付近まで、東山山麓から鴨川にかけてかなり広い地域をいったもので、京の代表的な葬送地である。六波羅蜜寺、六原の平家一門の邸宅群、六波羅探題などは元の鳥辺野葬送地の上に成立した。
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小鳥が居た。名前が分らない、遺憾。誰か教えて下さい。
この石段の奥にさらに石段が続いている。本日の探訪の最初にいきなり200m近くの石段を登ったので脚にきて一日中難儀した。
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山頂の豊国廟。豊臣秀吉の廟所。秀吉の遺体は遺命によりここ阿弥陀ヶ峰に葬られた。毎年盛大な祭礼(豊国祭)が執り行われたが、1615年豊臣氏の滅亡と共に廟は破壊され墳墓に弔する人もなく空しく風雨に曝されていた。明治30年、秀吉の300年忌に際し、廟宇が再建され、墳上には巨大な五輪石塔が建てられた
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源氏物語は葵上の葬送の様子を「鳥部野に率て奉るほど、いみじげなること多かり。こなたかなたの御送りの人ども、寺々の念仏僧など、そこら広き野に所もなし」と描写している。ここに登場する「念仏僧」は非僧非俗の私度僧(聖・乞食坊主)で僅かの鳥目で念仏を称えお経をあげて葬送を請けた。受戒した正規僧は葬式に全く関与しなかった。南都北嶺の正規僧は国家鎮護・皇室安寧・皇族貴族の病気平癒を祈祷する官僧であって葬式に関わるなどということは天地がひっくり返ってもあり得なかった。
2011年4月8日金曜日
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