2010年12月28日火曜日

12/27(月)、加茂岩倉遺跡、八岐大蛇公園、須佐神社、万九千神社、御井神社

今朝は08:30まで寝ていた。道の駅・湯の川を出立したのが10:00、ちょっと出遅れ。氷雨が時々ちらちら降るような天候。先ず目指したのが出雲街道・国道54号線を南下して

①、《加茂岩倉遺跡》。ほど近かった。発掘現場は街道から別れた谷筋を深く入りさらに枝の谷に入って見上げるような小高い山肌にあった。登ると息が切れた。出土した状態そのままに銅鐸のレプリカが置かれていた。滋賀県野洲市の大岩山古墳の出土数を遥かに上回る34個の銅鐸がまとまって出た。大岩山銅鐸博物館は今秋に探訪済み。レプリカには雪が薄く積っていたので吾輩の手で払って差し上げてしっかり撮影。現地に休憩所兼ガイド所があってそこで聞き捨てならない話を耳にした。国宝に指定された銅鐸達は国立博物館に収蔵されているのかと質問したら「いや、国立博物館じゃありません。出雲大社の隣にある島根県立博物館で展示されています」だと。明日、県立博物館に行って銅剣・銅鐸・銅矛の本物を見学して来よう、絶対!

②、次に目指したのが出雲街道沿いの「神原(かんばら)古墳遺跡」。ここから三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が出たが、これが只者ではない。卑弥呼が魏に朝貢した年に当たる年号が鏡の銘に刻まれていた。この遺跡には辿り着けなかった、釈然としないなぁ(+_+)

③、出雲街道をさらに南下して、木次(きすき、と読む)で「八岐大蛇(やまたのおろち)公園」と「八本杉」と「斐伊神社」を探索したが、いずれも失敗。となりかけたとき、旧市街地の細い路地に入り込んで脱出を図っていたら、小さな案内標示に「八本杉→」の文字が。全くの偶然f(~_~;)。吾輩の執念もちらっと関与、公園発見のため三度目のUターンを図っていた。大蛇(おろち)の八つの頭を埋めた所にスサノオノミコトは八本の杉を植えて大蛇の荒魂の鎮めにしたそう。その「八本杉」発見に気を好くして「公園」発見に最後の努力。それまで現地でウロウロした結果を検討してあと一縷の望みがありそうな方位にセレナを駆った。距離を過ごした感がして諦めかけたら、あった、「八岐大蛇公園→」の標識が。着いて見ると拍子抜けするほど小さな公園、猫の額とはまさにこのこと。石碑の字面によると「スサノオノミコトが高天原(たかまがはら)から追放されて出雲の国に下り立ったが、まさにこの地点で斐伊川を流れてきた箸を拾い、それで上流に人が住んでいることを知った。遡って行ってアシナヅチ・テナヅチ夫婦とその娘クシイナダヒメに出逢い、ヤマタノオロチのことを聞く。既に七人の娘が大蛇に食われ、最後に残ったクシイナダヒメも餌食にされようとしていると知って大蛇退治を決意した。ちゃっかり婚約もした」。「斐伊神社」はもうどうでもよかった。「八本杉」の場所の説明文に「ここは斐伊神社の境内」と書いてあった。社殿は全くなかった。ここが神社の飛び地であったところでもうそれでよかった、吾輩は伝説の地を探索したかった。

④、出雲街道と別れて東して大東町に近い山中で「佐世(させ)神社」を探索したが完全に失敗。スサノオノミコトが頭に生えた木を抜いてこの地で村人に「挿せ」と言った神話を由緒とする神社なんだが。現地で幾ら捜索しても手掛かりが一切ない。最後は交番で訊こうとしたが、地図上あるべき交番までも現地ではない。狐につままれてまた木次に戻り、また出雲街道に入って南下し今度は西して県道伝いに

⑤、須佐神社を目指した。奥山の峠を越えて行く。須佐神社は堂々たる案内標示を有していて有難かった。スサノオノミコトを祭神とする。この後県道を北上し、出雲市街で国道9号線に入り、最後の神社探訪に挑戦。

⑥、先ずは「万九千(まくせ)神社」「立虫(たちむし)神社」。いずれも式内社。小さな案内標示を目敏く見つけ何とか到達。二つの神社が同じ境内にある。万九千神社では、神在月(かみありづき)に出雲に参集した八百万(やおよろず)の神を御送りする「神等去出(からさで)」祭儀が厳修される。島根半島の「佐多神社」でも「からさで祭」がある。もう一社、東出雲で昨日発見したがどこだったかf(-_-;)立虫神社は元斐伊川の中州にあったらしい。

⑦、最後は夕暮れ迫る中「御井(みい)神社」を探索。何とか勘でそれらしき旧道に入り小さな案内標示を発見したが、その先が一筋縄で行かない。今日は小神社の探訪の難しさをつくづくと味わった。行きつ戻りつを繰り返し、最後には「400m先左折」の400mをセレナの距離計で正確に測って小道に入り、それでもその先まだまだ苦労して遂に到達。宵闇が下りていた。「御井」は「三井」の謂い。越後のヤガミヒメ(八上姫)が大国主命の子を身籠ってはるばる出雲に会いに来たが、正妻スセリヒメに遠慮して会わずに戻る途中で出産した。そのとき三つの井戸を掘って赤ちゃんに産湯をつかわせた、その場所がここだという伝説を由緒とする神社。その神話には続きがあるが長くなるので後日のこととして、吾輩は神社の近くにあるらしい三つの井戸を夕闇の中で探索してみた。一つ目「生井(いくい)」発見。二つ目「福井(さきい)」も発見。三つ目の「綱長井(つながい)」は残念ながら発見できず。

そして今夜もまた道の駅・湯の川に居る。晩食もここの食堂で摂った。美味しくて値ごろの焼肉定食、親切。明日は先ず「出雲大社」と「島根県立博物館」を訪れる。隣の大田市(おおだ、と濁って読む)も見所がある。世界遺産《石見銀山》!!

0 件のコメント:

コメントを投稿