備中一宮「吉備津神社」に着いた。吉備津彦神社からここに来るには、吉備中山という小山の裾を半周するだけでいい。小山を半周すると備前国から備中国に入るのかというと、その通り。吉備中山の山奥から流れ出した細流が小川をなして田園地帯を流れて行く、この小川が何と国境をなす。吉備の国が未だ備前・備中・備後の三ヶ国に分国されていたない古代には、ここ「吉備津神社」が吉備国・総鎮守社だった。それが分国に当たり、ここ吉備津神社の祭神が分神されて備前と備後の各吉備津彦神社に鎮まった。因みに備後・吉備津彦神社は福山市にある。
「矢置岩」。大昔、鬼神・温羅(うら)が民に害をなした。大吉備津彦命が吉備の中山に陣取って矢を射て温羅と闘った。その矢を置いた岩がこれ。温羅が陣取った山が新山or「鬼城(きのじょう)」だとも。
新山と吉備中山との中間に、吉備津彦命の放った矢が温羅の投げた大岩を空中で真っ二つにし割られた岩が地上に落下して残した神蹟を祀っている「矢喰(やぐい)の宮」がある。近くに「鯉食(こいくい)神社」もある。鯉に化けた温羅を吉備津彦命が捕まえた所だという。
北隋神門へ登る石段。
重文・北隋神門
国宝・拝殿。掲額は「平賊安民」と認(したた)めてある。
これは拝殿ではない。石段を上った休憩所のようなもの。
国宝・拝殿と本殿
拝殿
双翼寄棟造りの本殿。国宝
本殿の裏手に小高い丘がある。そこに「一童社」がある。
一童社本殿
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