2012年5月18日金曜日
〇5/18(金)週末の天気が好さそうなので、奈良の薬師寺「東院堂」を訪れて「国宝・聖観音立像」に会ってきます。
奈良で、薬師寺・東院堂(国宝)の御本尊・聖観音立像(国宝)にお会いしてきます。一度訪ねたとき、聖観音立像は、東京国立博物館だったかに出張中で逢えませんでした。その後、写真でこの聖観音像をつらつら観察するようになったのですが、見れば見るほどその美しさに心を動かされます。しかも、この観音像は、鋳造された銅造仏で、制作年代は白鳳時代と古いことを知って驚かされました。吾輩の見るところ(写真でですが)、この聖観音立像は、国宝でも五指に入る最高傑作です。吾輩の心にはいつしか、この聖観音立像にお会いしなければ仏像巡礼の旅は決して完結することはない、是非ともお会いしなければならぬという悲願が生じました。その悲願をこの週末に成就したいものと思います。今回の旅は流浪の旅ではありません、悲願成就の旅です。
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楽しみですね~お会いできればいいですね~。そんな古い時代に鋳造の仏像があったのですか?本物の空気感って、きっと凄いんでしょうね。背筋がゾクゾクしそう!です。仏像見るのは好きなんですが、歴史オンチなので時代がどうもチンプンカンプンなのです。次元の違うことを言ってたら勘弁!して下さい。
返信削除聖観音立像に会ってきました。応援のお蔭かなぁ\(^o^)/仏像の制作年代については、木造仏は平安時代に入ってから作像されるようになり、奈良時代にはないというのが、日本仏教美術学会の不動の定説だそうです。これに噛みついたのが、ボクの信奉する「梅原猛」です。行基は(奈良時代、東大寺の大仏建立の勧進を勅命で要請され全国を遊行した)弟子や技能者集団を率いて国々を遊行し、各地に寺を建立し仏像を刻んで納めて回ったという。その寺の一つが泉州堺・木積(こづみ)にある★寺(国宝の本堂がある。名が耄碌のため浮かばない)で、今も等身大の木造行基仏(当然奈良時代の制作)が幾体も残っていると言っている。学会ではこの梅原説に真っ向から噛みつき返すような勇気ある学者はどうやら出ていない模様。何せ梅原猛は巨人であるうえに論戦となると相手を完膚なきまでに撃破する。受けて立つのは怖い。橋下徹・大阪市長を相手にするような感じかなぁ。ボクは、梅原説を検証するために、去年その★寺に行ってみた。梅原猛のいう行基仏の参拝を申し入れた。が、断られた。予約が要るんだそう。学会の通説は勿論それらの仏像は平安時代以降の作だとしている。奈良時代以前には木造仏はない、それが常識だから。しかし、日本は太古以来、森・緑と水の国だった。木霊信仰もあった。神木が倒れた時、流木となった時など、その大木を、奈良時代以前には仏像として刻まなかったということがどうして断言できるのだろうか。
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