岩峅寺・前立社壇「雄山神社」の構造は特殊性がある。表参道と裏参道が同格の構成になっている。表参道から入って「前立社壇」に参詣し、裏参道から出て立山山頂の「峰本社」(途中の芦峅寺「中宮祈願殿」)を目指すという発想なのだろう。昔は「立山寺」と称した。神仏習合・立山信仰・修験道の寺だった。明治維新の際、神仏分離・廃仏毀釈の嵐の中で修験道を捨てた。仏教堂宇は破壊され、仏像は散逸した。24在った宿坊も廃れた。宿坊の泊まり客は、立山の峰本社参詣・地獄巡りを志す信者達だった。峰本社の宮司は、ここの宮司が兼ねている。
東口(裏)参道の鳥居。立山は東に当たる。
東口(裏)参道の神門
東口手水舎
東口神門から見た境内。右側の建物が拝殿
拝殿
東側から見た本殿。国重要文化財
西側から見た本殿
右から「末社・稲荷社」「摂社・刀尾(たちお)社」「末社・八幡宮」
岩峅寺湯立の釜「旧立山寺(現在の雄山神社前立社壇)では古来、四月八日の春季祭礼において五穀豊穣・無病息災を祈って「湯立の神事》が行われており、その神事に使う釜は加賀藩主によって寄進されるのが慣例だった。現存する釜は江戸時代末期の弘化2年(1845)に寄進されたもの」
表参道の手水舎
表参道の神門
表参道の神門から見た境内
表参道の鳥居
2010年9月8日水曜日
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