JR湖西線「大津京駅」の直ぐ近くに「近江神宮」があった。意外なことを知った、この神宮は昭和15年に創建された。皇紀2600年を記念し、また昭和天皇の強い思い入れがあったそう。祭神は天智天皇。天智天皇がこの近傍に大津京を飛鳥から遷都して開いたことに因む。何故昭和15年なのか。当時日本は太平洋戦争に突入する直前の緊迫した国際関係・軍事状況に置かれていた。天智天皇も百済救済に派遣した水軍が朝鮮半島の白村江で唐・新羅連合軍に撃破され、日本本土も侵略される危機感に突き動かされて九州から近畿にかけて幾つもの山城を築き、また都も防禦面から大津に遷した。昭和天皇は天智天皇と危機感を共有されたのだろう。
「近江神宮」の一の鳥居に到着
二の鳥居神門
外拝殿
外拝殿から振り返って見た神門
外拝殿から見た内拝殿
内拝殿の背後に本殿の屋根の一部が見える。
百人一首がでましたので、ひと言いいたくなりました。
返信削除古典の授業て百人一首のこの歌を習ったとき、
「天皇ともあろう人がなんで田んぼの番小屋で露にぬれる必要があったのでしょうか」
というようなことを私が質問したら、その古典の先生がいやな表情で、
「天皇もそういう体験をしてみたかったんでしょうね」だって。嘘つくな。
それ以来、私なりにいろいろ調べてみたら小倉百人一首を選定した定家は他の歌集の詠人しらずの歌などからのパクリをほかにもやって当てはめていることがわかりました。
それで、定家はなぜこんなサギみたいなことをしたのかを今も推理していますが、この方がおもしろいですね。
ちなみに、この歌は万葉集巻第十 2174番に詠人しらずとして「秋田刈る 仮庵を作り 吾がをれば 衣手寒く 露そ置きにける」からのパクリ、編歌?です。
この第一首を英訳してみました。
中学生にはこの英訳を和訳させた方が歌の意味を理解しやすいらしい。
秋の田のかりほの庵の苫をあらみ
Coarse the rush-mat roof
Sheltering the harvest-hut
Of the autumn rice-field;
わが衣手は露にぬれつつ
And my sleeves are growing wet
With the moisture dripping through.
Datum