2011年1月14日金曜日

12/23(木)、京都「伏見稲荷大社」

伏見稲荷大社はどうしても探訪しておかねばならない神社の一つ。その得体の知れなさが吾輩を引き寄せる。大社に接近する道中で「稲荷山」がこの大社の御神体をなすことに気がついた。
一の鳥居をセレナで潜り何とか境内の駐車場にありついた。一の鳥居を振り返ったところ。
二の鳥居。鳥居の向こうは神門。一の鳥居と二の鳥居の間に末社が三つ(熊野社、藤尾社、霊魂社)あったが省略。省略の態度は正しかった。稲荷山の麓から山頂を目指すにつき一々社を写していては切りがないことを思い知らされた。
手洗舎と楼門
楼門。掲額は「伏見稲荷大社」
楼門の護衛は右近と左近の武士

外拝殿

外拝殿の右側に「東丸(あずままろ)神社」がある。荷田春満を祭神とする。
伏見稲荷と境内が隣接しているが別の神社。摂社・末社ではない。
明治時代、江戸中期の国学者で伏見稲荷大社の社家に生まれ
た荷田春満(かだのあずままろ)が正四位の追贈を賜ったことを記念に伏見稲荷大社の宮司らが寄付を募って創建した。賀茂真淵は直弟子。その後に続く本居宣長、平田篤胤と並んで「国学の四大人(しうし)」と称される。勉学向上・受験合格の祈願者が訪れる。
神主による祭りが厳粛に執り行われていた。
外拝殿の右側にある神楽殿。
本殿の前に対で立つお狐さん。
内拝殿
本殿
ここまでは普通の神社の体裁。この背後の稲荷山に足を踏み入れるにつれてこの神社の異常さを身にしみさせられることになる。この大社と稲荷山の結び付き、稲荷山の有様を知るにつれ、この神社の祀る神様の正体がとんと分らなくなる。「稲荷大神」とは何者か?

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