2010年4月29日木曜日

4/28(水)、今夜のお泊まりは、

常磐自動車道「友部SA」。ここに泊まるのは明朝、北関東自動車道に入るか、常磐道を直進するか決めようという寸法。ということは未だ迷ってる。今朝は05:00に目を覚ました。香取神宮に入ったのは07:00、本降りの中(>_<)。鹿島・香取と北関東に大神宮が古来からある意味を考えさせられた、考えは大分煮詰まったけどね。香取神宮を出たのが08:30。直ぐ隣の佐原市街で伝統的街並を探訪、のつもりがなかなか発見できない、「伊能忠敬記念館」がなければ諦めたところだけど、しぶとく探し回り、探しあぐねて500円の有料駐車場に入って在り処を聞いた。近くだった。伝統的街並と言っても指定された古い建物はたったの6、7軒、期待外れ。しかし「伊能忠敬記念館」は好かった、何せ原物・原本が数多ある。ここに1時間半ほど居たんじゃないか。記念館の向かいに忠敬翁の商家も残されていてこれも好かった。街並を写していたら雨に濡れてカメラの調子が変になった。雨が止みそうになかったが「成田山・新勝寺」に足を延ばした。成田山は正月の初詣の人の数の多さで全国一、二位を争う、何故わざわざ東京から離れた成田山なのか、それが永らく疑問でそれを理解するためにやって来たようなもの。度肝を抜かれる豪壮な寺院、真言宗智山派。成田山の隆盛の秘訣は「講」だな。講の勧進元が沢山あってしかもどれもしっかりしているんだと思う。支えがしっかりしていれば伽藍も景気も好くなる、すると講が益々盛んになる、好循環の繰り返しがあの初詣の入り数になっている。ずぶ濡れ状態で成田山を後にしたのが15:30、それから雨の中をセレナで流浪した、行き先が定まらない。初め銚子市・犬吠﨑を目指した、が、明日も雨だろうと思うと無意味に思えて引き返すことに。引き返した地点が「三里塚」。佐倉(成田の直ぐ南)に出て北上し印旛沼を通り、常磐道に入ってまた水戸近くまで二日がかりで戻って来た、地図的には北浦・霞ヶ浦・印旛沼をぐるりと周回したようなもの。明日どこへ行くかは分らないなぁ(*_*;朝目覚めたときの天気次第だな、雨ならもう濡れて見学するのは厭だからセレナで北へ北へと走り続けても好いなf(-_-;)。晴れていたら思案のしどころだなぁ、選択肢が幾つかある。北上ルートについて僕のナビは古過ぎて信用ならないが、友部SAの資料で確認したら常磐道は磐越道に接続し、磐越道は東北道に接続している、北上案も選択肢の一つ。磐越道沿道には「三春・滝桜(枝垂れ桜)」がある。それじゃこのあたりでお休みなさい、明日またぁ(^O^)/
●この稿、昨晩「友部SA」から送信できなかった。今晩泊まる「紫波SA」は電波の調子が好い。トイレの手洗いにお湯も出たし(*^^)vお湯が出ると顔を洗う気が起きて大変結構f(^_^;)。

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