粉河寺には驚かされた。道路の案内表示に沢山登場するので訪ねてみようと思ったのだが、実はその名も知らなかった。行ってみて、最初の大門から驚かされた。想定外の大寺だっただけでない、絵になる芸術的な寺院だった。
粉河寺 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「粉河寺(こかわでら)は、和歌山県紀の川市粉河にある天台系の寺院。西国三十三箇所第三番札所。山号は風猛山(ふうもうざん、かざらぎさん)。宗派は天台宗系の粉河観音宗総本山。本尊は、千手千眼観音菩薩。伝承によれば創建は宝亀元年(770年)、大伴孔子古(おおとものくじこ)によるとされる。草創の縁起は『粉河寺縁起絵巻』(国宝)に伝えられている。粉河寺は平安時代には朝廷や貴族の保護を得て栄えたことは確かである。清少納言の『枕草子』194段には「寺は壺坂、笠置、法輪(中略)石山、粉川、志賀」とあり、『梁塵秘抄』に載せる今様には、「観音験(しるし)を見する寺、清水、石山、長谷の御山、粉河(後略)」とある。西行の『山家集』や、架空の物語である『うつほ物語』『狭衣物語』にも粉河寺への言及があるなど、遅くとも平安時代中期・10世紀には観音霊場として著名であったことがわかる。平安時代後期には、その頃から始まった西国三十三箇所観音霊場巡りの札所の1つとして栄えた。天正13年(1585年)、豊臣秀吉が紀州に攻め入り、根来寺や雑賀衆とともに抵抗したものの全山焼失した。この時、粉河寺縁起絵巻も焼損した。正徳3年(1713年)にも火災があり、現在の伽藍はほとんどがそれ以降の江戸時代の再建である。」
大門の門前に小さい「大神宮」がある。神木は巨楠。
巨大さに圧倒される。
続く
2010年4月21日水曜日
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