夜明けと共に奥三河の道の駅「鳳来・三河三石(みかわさんごく)」で目覚めた、四時過ぎ。「三石」という地名は珍しい、何でも家康から三石の扶持米を頂戴した感心な鶏がいたそう、何が感心なのか肝腎な点が分らない。早朝に出発、設楽ヶ原(しだらがはら)古戦場を目指す。徳川家康本陣跡の表示の発見を手掛かりに遂に模擬馬防柵、信長本陣も発見。武田勝頼の本陣や激戦地も。たっぷり時間を費やした。設楽ヶ原合戦図屏風は実に正確。さらに設楽ヶ原合戦の引き金となった長篠城攻防戦の舞台を探訪。長篠城は山城だと思い込んでいたが意外なことに平城、三方を川に囲まれ、前面が平地に開けている。本丸は前面も濠と土居で囲ってある。本丸は、二の丸その他の郭(くるわ)で前面を重層的に防備されているが、織田・徳川連合軍が設楽ヶ原に展開した時点では本丸と二の丸だけが辛うじて確保されている状態だった。勇士《鳥居強右衛門(すねえもん)》の壮絶な磔刑死の話は後日に。長篠城を囲む川の一つが「寒狭川」だが、その断崖に「中央構造線」の断層が露頭している、それを見学。長篠から「阿寺(あてら)七滝」へ。山中深くにある。七段になってほぼ垂直に落下。この滝も養老の滝より格上。鳳来寺山に登った。初めは有料道路で山頂に至り、鳳来山東照宮と本堂を見学。ここに至るのに石段1,425段を踏破する必要があるのを知って料金500円は高くないと思った。垂直な石段をある程度下りてみて上に引き返した。ところがセレナで山を下りる途中道を間違って表参道に来てしまった。これも何かの縁と表参道を歩きに歩き今度は逆に石段を登って仁王門まで辿り着いた。が、そこで登段を中止。心臓に悪い。ここの石段は半端じゃない。水平美の代表が一面緑の苔を敷き詰めた平泉寺白山神社なら、垂直美の代表が鳳来山寺。その石段のどこまでも高く神韻風格のあること、しかも変化に富む。人間が昔何者であったかを理解するために一度登山することをお勧めする、僕は厭だけどf(-_-;)。三方ヶ原、設楽ヶ原と来れば最後は桶狭間。辿り着いたが着いた先は以前家族旅行で来た場所と同一、国道1号線の傍。桶狭間の位置については諸説があるので別の桶狭間に着くかとちょっとだけ期待したんだが。桶狭間は細長い窪地だったと言われているが、現地に立って見るとそういう地形には全然見えない。辺り一帯都市化が進み往年の面影は全くない。開発により地形の凹凸が均されてしまったというのか。
夕暮れになったので国道1号線を西に辿り名古屋市街を横断して木曾三川公園に来た。ここに道の駅「立田ふれあいの里」がある。今夜はそこで寝る。
2010年8月14日土曜日
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