車はハイブリッド・プリウス、女房の車。吾輩はハイブリッドを運転したことがないので往復とも女房が運転、吾輩は車中でひたすら風景文化財の写真整理。女房との旅行は有難い。
早朝5時七尾発、9:30京都で探訪開始。と、女房は岡崎に住む長女の買い物に付き合うことに。吾輩独りの探訪となった。心配していた雨は降る気配なし。今日は東山北部を中心にする。先ずは《慈照寺・銀閣》。銀閣寺は元は寺院ではない、足利将軍義政の別荘。しっかり見て回るとそういう感じ。次に哲学の道を歩いて《法然寺》へ。途中血糖値が下がるのを懼れてアイスクリーム(マンゴー味)を買って舐めつつ。法然寺は静寂の寺、拝観料など無縁。吉田山南麓の《真如堂》へ行く途中《冷泉天皇櫻本陵》に遭遇。この界隈に他に幾つも天皇陵があることを知った。京都は歴史が深い。ここでずぶ濡れに。七尾を発つとき女房は傘を用意していたがプリウスに積んだまま去っていた。幸いズボンのポケットに小銭ならあったので哲学の道沿いの喫茶店に。ビートルズ・アンソロジーの音楽を聞きながらコーヒーを飲んで時を過ごした。雨は止みそうになかったがそれが上がった。《真如堂》へ、真如堂は天台宗の寺。さらに《黒谷・金戒光明寺》へ、黒谷は法然上人・浄土宗の寺。黒谷には広大な墓地が広がっていた、京都の街のど真ん中にこんなに広大な墓地があるとは知らなかった。その昔、吉田山の東南麓は化外の地・異界だったのだろう。黒谷で血糖値が急激に下がり力尽きた。携帯の電池もあいにく力尽きて最後の連絡をしたあと唐門の前に坐っていたらプリウスが迎えに来てくれた。救援を待つ間門を観察していたら文字があり、ここが幕末動乱のとき会津中将松平容保が京都守護職を務めるため陣を布いた伽藍だったことを知った。何が縁で貴重な知識を得ることになるか分ったもんじゃない。このあと女房の運転で北山の《鹿苑寺・金閣》へ。ここも元は寺院でないことがありあり、こちらは将軍足利義満の別荘。3時過ぎ京都発、七尾帰還晩7:40。吾輩は帰路の車中で本日の写真の整理とNET用データ量圧縮を済ませた。有難い\(^o^)/
2010年6月21日月曜日
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