弘前城から岩木山神社に赴く道中、風変わりな神社を発見。「高照神社」。雨が降り出す。
○高照神社
「吉川神道を信奉した弘前藩四代藩主の津軽信政は、自らの葬地を高岡と定め、1710年に弘前城で死去した。五代藩主信寿はその遺言に従って伸葬。1711年に廟所を、翌年には本殿などを建立したほか、1721年には門前に屋敷割りを行い、現在の高岡集落の元を作った。その後、七代藩主信寧が拝殿を、九代藩主寧親が随神門や廟所門を整備した。社殿配置は東西に一直線で鳥居、随神門、拝殿・幣殿が並び、廊下を挟んで中門から本殿に至り、更に西方200mに廟所と墓所がある独特の構成になっている。このように吉川神道の教えに基づいた建造物群で現存するのはほかに例がなく、更に江戸時代中期の神社建築の特徴をよく現わしていることから、平成18年7月、本殿を始めとする建物八棟と信政公墓二基が重要文化財に指定された。」
要するにこの神社、潜った門から始めて、後ろは廟・墓に至るまで神社一式全部が重要文化財なのだ。
一の鳥居
二の鳥居
三の鳥居
四の鳥居、拝殿
拝殿
手水舎
本殿。雨がかなり降っているのが分る。
拝殿を後方から見る
振り返って本殿を見る
拝殿から随神門を見る
2010年6月25日金曜日
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