2017年12月23日土曜日

〇12-22(金)冬至。高橋洋一。小平奈緒・高木美帆

〇とうとう今年も冬至を迎えた。明日から日一日と日が長くなる。アッと言う間に春分が来る。旅の季節が廻って来る。
〇小平奈緒、高木美帆のスピードスケートの飛躍的活躍が小気味良い。世界一でゴールラインを突っ切る。U-tubeで毎晩鑑賞中。
〇チャンネル桜で高橋洋一の経済解説を聴く。大局観のある切れ味鋭い分析解説は目から鱗が落ちる想いをさせてくれる。頭の良い人間が居れば居るものかな。

2017年12月18日月曜日

〇12-18(月)イザペラバードの「日本紀行」が着いた

アマゾンの予告では、1度目の配達予定が12-28、2度目が来年1-22となっていたので、仕方がない・それまで待つかと思っていたら、今日配達された。遅くなるのはヤマト運輸との契約が無くなったので配達予定が立たなくなったせいだと思い諦めていたら、配達してきたのは何とヤマト運輸だった。注文(12-14発注)してから4日後。ヤマト運輸側がアマゾンから配送条件で大幅な譲歩を引き出したようだ。それにしても想定外に早い、早い。
内容は克明な紀行報告。彼女の辿ったコースと探訪地の精密な研究が可。夏休み旅行が俟たれる。

2017年12月14日木曜日

〇12-14(木)イザペラ・バードの日本旅行記発見

YOU TUBEで朗読していた。彼女はイギリス人女性。明治11年に日本に来て、独りで奥羽地方と蝦夷地を旅行。日本の風土風景と日本人の観察が辛辣かつ的確・親日的で面白い。
来年の夏休み旅行は、イザペラ・バードの足跡を辿ることに決定。彼女は、江戸を出て日光から会津に入り、阿賀野川沿いに新潟に下り、小国から十三峠を越えて山形に入り、秋田・大舘を経て津軽・黒石に行き、青森から蒸気船で函館に渡り、内浦湾を巡って苫小牧から日高・襟裳崎を経て十勝平野に入った。旅はそこまでだが、女一人でやり遂げたのだから偉い。早速彼女の旅行記を取り寄せよう。夏までにコースと探訪地の研究をする。また目標ができた。

2017年12月6日水曜日

〇12-6(水)貴ノ岩暴行事件、貴乃花親方の怒りの矛先は白鵬。八角理事長ではない

近時の白鵬の傲慢は腹に据えかねる。九州場所千秋楽優勝後の演説「力士を代表して」「日馬富士関と貴ノ岩関をまた土俵に上げてあげたいです」、そして観客にやらせた万歳三唱。いずれも分を越えた言動だ。お前は理事長か。その前、立ち会いに文句を付けて土俵から下りようとしなかった事件。お前は行司・審判か。場所後の理事長講話後「貴乃花親方を巡業部長から外して下さい。貴乃花親方が巡業部長として同行するなら私は巡業に出たくありません」と理事長に意見した事件。お前は何様か。白鵬の驕り昂りは近年度を越していた。それを見て貴乃花は腹に据えかねていた。貴乃花の怒りの元はまだある。モンゴル互助会の傍若無人。彼らのナイラ(日本でいう八百長)の横行。貴乃花の眼光はそれを見逃していなかった。貴乃花親方は貴ノ岩に対しモンゴル互助会に近づくなと厳命していた。貴ノ岩は親方の教えを守りガチンコ相撲に徹し、モンゴル互助会に近づかず彼らを批判していた。白鵬はそれが気に入らず「礼儀礼節」を弁えぬ奴だとして貴ノ岩を憎んだ。いつかシメル機会を狙っていた。その機会が鳥取市で実現した。鳥取城北高校は貴ノ岩・照ノ富士の母校。そこの相撲部監督が貴ノ岩を宴席に招いた。その情報を得た白鵬が、日馬富士・鶴竜を誘って宴席に陣取った。三横綱揃い踏みで威圧した。二次会で日馬富士が白鵬の意を汲んでモンゴル互助会的礼儀礼節の指導に入った。貴ノ岩は貴乃花親方の筋金入りの弟子である。日馬富士の暴行傷害が始まり、白鵬は止めようとしなかった。
この事件の先、巡業中に白鵬の貴乃花親方を見下した無礼の件があった。バスでいつも親方が坐る席に白鵬がわざと坐って貴乃花親方の権威を否定してみせたのだ。貴乃花は白鵬を横にずらして自分の席に坐り、二人並んで移動したらしい。バスに遅れた白鵬を残して、貴乃花がバスを発進させた一件も発生したらしい。二人には遺恨があった。貴ノ岩の頭の傷害を見、彼から暴行傷害の状況を聴いて、貴乃花は、この事件は白鵬の自分に対する挑戦であることを悟った。瞬時に受けて立つ覚悟を固めた。この際、事の黒白を明らかにすることが先決だが、それには相撲協会は有害無益。捜査機関に委ねるしかない。貴乃花親方のモンゴル互助会殲滅の戦いが開始された。それは驕り昂った白鵬を叩きのめす闘いの始まりでもある。貴乃花親方の敵は、手を下した日馬富士にあったのではない。八角理事長でもない。
白鵬は貴乃花の強さを見誤った。貴乃花の意志の強さを言っているのではない。彼は日本国民の圧倒的多数に好かれているのだ。