2013年6月30日日曜日

〇6/30(日)大江山周辺で、元伊勢「内宮」「天岩戸神社」探訪。「日本の鬼の交流館博物館」を訪れて帰路を辿る。

緑の一里塚・大江町蓼原で目覚めたら六時半。車中で朝食を済ませて出発したのが七時頃。大江山に近い谷筋に入る。宮川という名の川は五十鈴川とも呼ばれるそう。内宮は皇大神社。昨日探訪した外宮・豊受神社と同様・本殿の四周を摂末社で囲まれている。摂末社の数は80ほど。天岩戸神社は内宮からほど遠くない所にある。が、辿り着くのに骨が折れる。神秘的な峡谷にある。しかし、天岩戸がない。どう見ても見当たらない。納得できない点。「日本の鬼の交流博物館」は元伊勢三神社からそれほど離れていない。予定通り探訪した。行く道の沿道にカワイイ鬼が幾つもいる。博物館発・午前十一時過ぎ、宮津に出て・自動車道に入り園部Jctから舞鶴自動車道に入り、小浜IC終点で下りて下道を敦賀まで走り、敦賀ICから北陸自動車道に入って帰って来た。七尾着・午後四時過ぎ。以前ならまだまだ探訪地を増やして戻って来たが、もう老衰で疲れが酷いからこの程度が好いところ。とにかく早く戻って休むこと。

2013年6月29日土曜日

〇週末旅行に出た。若狭国小浜の「多田寺」の重文・薬師如来三尊像を拝観。丹後国・由良川に出て遡り、福知山市・大江山の麓に辿り着いた。元伊勢・三神社を探訪するつもりで。

今日は11:00に七尾発。日中、若狭・小浜の多田寺に寄って重文・薬師如来三尊像などの仏像を拝観。舞鶴を通るとき東舞鶴港で軍艦に見惚れながら走った。軍艦は恰好が好くてボクは好き。写真を撮りたいが、セレナを停めて撮影する場所がないのでいつも残念。それから由良川に出、川を遡って福知山市域に入った。そして明日探訪予定だった元伊勢・三神社のうち、外宮・豊受大神社の参拝を済ませた。内宮・皇大神社と天の岩戸神社もその所在地を現地で確かめたところで日が暮れそうなので道の駅を探したら・28kmも先の山中深く。仕方ないのでそこを目指して走っていたら、福知山街道沿いに「緑の一里塚・大江町蓼原」があったのでそこに飛び込んだ。緑の一里塚は寂しいが泊まれる。今夜の宿はここに決定。ただ電波が飛ばないので・賑やかな所まで出張って来てプログしている。プログを書いたら戻って、司馬遼太郎の「関ヶ原・中」を読書して、疲れたところで自分の歌声を聞きながら眠ろうという魂胆。明日の予定は、元伊勢三神社のうち残りの内宮と天の岩戸神社を探訪し、「鬼の交流博物館」を訪れて・七尾に戻る。ここは大江山の麓、道沿いの看板にカワイイ鬼の絵が溢れている。酒呑童子の絵もある。緑の一里塚から予定の探訪地までは、お陰様で近い(*^^)v(^.^)/~~~

2013年6月28日金曜日

〇織田信長・天下布武の出発地「尾張・清洲城」

〇愛西市「道の駅・立田ふれあいの里」を出発し、午前八時半・清洲城到着。


 ↓五條川に赤い橋が架かっている。
 ↓五條川。
 五條川は水量が豊富で水流が早い。その川に大鯉が沢山泳いでいる。
 以上写真で見た清洲城は虚構の城である。虚構と断言する理由の第一、信長の時代・清洲城に天守閣はなかった。第二、本来の清洲城は五條川の西岸にあった。写真の天守閣は東岸にある。

 信長時代の清洲城はこの様なモノだったらしい。
↓五條川・西岸。信長時代の石垣を再現しようとしている。注目すべきは、地盤が湿地で軟弱なため太い材木を基礎にしていること。材木・基礎が腐食したらどうなるのかという疑問がある。
西岸は緑豊かな公園になっている。面積は、清洲城敷地に遠く及ばないが。信長公を祀る祠がある。

↓軍装をした信長公の銅像が建つ。


↓東岸の虚構の城の門が開いた。確か午前九時。

↓「信長塀」。信長は今川軍の侵攻に対して捨て身の突撃戦を敢行するに当たって・熱田神宮に戦勝祈願をし・その際勝利の暁には塀を寄進することを約した。熱田神宮には今も信長寄進にかかる「信長塀」が残っている。その塀をここに再現してある。
↓拡充された清洲城
↓天守閣の中を拝観すると「戦国・中スポ」新聞が貼り出されている。実にユーモラス。





天守閣から五條川・西岸の清洲城址公園を眺める。公園の真ん中をJR東海道本線・東海道新幹線が通る。
清洲城探訪は、歴史好きのボクにとっては実に感慨深い。どうしても訪れてみなければならない旧蹟の一つ。思っても見給え、信長はここ清州城から五條川を東に渡って桶狭間に向かって馬を走らせたのだ。ここ清州城で家康と同盟した。ここ清州城を拠点に美濃攻略に勤しんだ。すべてはここから始まった。始まりは小規模な舘からだった。

2013年6月27日木曜日

〇セレナ君の怪我――本邦・初公開。春季大旅行を断念し、帰途5/5(子供の日)・妙高高原で写生。

△これが、セレナ君の怪我の状態。本邦初公開。右後部角の赤いプラスチックカバーが下半分吹っ飛んでいる。ランプの点灯試験をしたら、車幅灯・OK、方向指示灯・OK、停止灯・OK。ランプは全部点く。これで整備不良車になるのか、分らないが家まで無事に辿り着くしかない。
 セレナ君の怪我は5/3正午過ぎ。そのあと三峰神社を訪ねて、5/4はひたすら走って新潟県妙高高原「ペンション・シェーネ」に辿り着いた。途中事故渋滞に巻き込まれて酷い目に遭った。
↓「いもり池」
 
 「シェーネ」はあいにく満室。屋根裏部屋に泊めて貰ったf(~_~;)
 ↓これがボクの寝るベッド。足元をネズミが走った(>_<)
 5/5(子供の日)にいもり池の水芭蕉を前景にして久方ぶりの写生をした。もしセレナ君が無事だったら、探訪旅行を継続していただろう。この絵は、セレナ君の負傷の賜物。人生、何が機縁になってどう転んでいくか分ったもんじゃない(゜o゜)
〇セレナ君の負傷で・旅の行程と旅情は一気に暗転したが、それが機縁で描く予定と余裕のなかった絵が一枚描けた。描いたことのない水芭蕉を前景にした絵。これには我ながら満足気。

〇2011/9、埼玉県秩父市「三峯神社」。濃霧に煙ってよく見えなかった。

実は「三峯(みつみね)神社」は以前探訪したことがあった。が、その時は濃霧に巻かれてよく見えなかったので・今回の再探訪となった。以前の記事のリンク先http://takashikun.blogspot.jp/2011/09/blog-post_7096.html

〇2011/9、埼玉県秩父市「秩父神社」

セレナ君が駐車場で負傷したので「秩父神社」の探訪は諦めた。が、以前探訪したことがあるので・その時の写真を示す。リンク先→http://takashikun.blogspot.jp/2011/09/blog-post_19.html

2013年6月26日水曜日

〇埼玉県秩父市の奥山深くにある「三峯神社」

三峯神社(みつみねじんじゃ)は、埼玉県秩父市三峰にある神社旧社格県社で、現在は神社本庁別表神社
秩父神社宝登山神社とともに秩父三社の一社。拝殿の手前には珍しい三ツ鳥居がある。
主祭神
配祀神
 ↑↓「三峯」の名の由来は、この三つの峯にある。
 ↓三つ鳥居
 狛犬の代わりに、眷族の狼が護っている。
 参道に沿って石碑が林立しているが、いずれも講組織が立てたモノ。秩父の奥山深くにこんな大神社が存立したことの謎がこれで解ける。関東・東北を中心に修験道の講組織が張りめぐらされたと見える。
 神門へ
 神門
 ここにも眷族の狼


 神門を潜る
 石段を昇ると拝殿

 ↓手水舎
 手水舎の装飾
 ↓八棟木灯台。燈籠だろう。
 拝殿真下の神木の杉。
 神木と拝殿
 以下、拝殿の彫刻。





 拝殿・側面
 拝殿・左と本殿・右
 本殿
 左から拝殿、本殿、祖霊社
 祖霊社
 ↓国常立神社
 日本武尊社
 ↓左・国常立神社、右・日本武尊社
 左から祖霊社・国常立神社・日本武尊社
 さらに右に伊勢神宮
 さらに右に摂・末社が並ぶ。

 摂末社、その右に・東照宮、大山咋神社

 東照宮
 さらに右に摂末社が並んで、
 そのさらに右に、大山咋(おおやまづみ)神社
 左・東照宮、右・大山咋神社
 神楽殿

日本武尊の銅像

↓奥宮・遙拝所
この奥山の何処かに奥宮が建つ。小さな石の祠。