2015年7月30日木曜日

〇壬申の乱、決戦の舞台・藤古川

〇不破の関守邸跡から中山道を数百メートル西に下ると、壬申の乱の決戦場・藤古川がある。
 ↑「この川を古くは関の藤川と称し、壬申の乱には川を挟んで東が天武天皇軍、西側には弘文天皇軍が陣しそこの地区民は銘々の軍を支援したので、戦後東の松尾地区は天武天皇を祭って井上神社と号し、川西の藤下、山中地区では弘文天皇を祭って氏神とし、現在に及んでいる。」
↓上流を見る。向って右岸に天武天皇(大海人皇子)軍、左岸に弘文天皇(大友皇子)軍が陣した。

 ↓下流を見る。
 ↓「関の藤川(藤古川) この川は伊吹山麓に源を発し、関所の傍を流れているところから、関の藤川と呼ばれていました。壬申の乱(672)では、両軍がこの川を挟んでの開戦。更に関ケ原合戦では、大谷吉継が上流右岸に布陣するなど、この辺りは軍事上要害の地でした。またこの川は古来より歌枕として、多くの歌人に知られ、数知れないほどの詩歌が詠まれたことが、世に知られています。」

〇諸行無常。ある陶芸家の死。

〇十日ほど前、陶芸家《吉田洋子》さんの訃報に接した。享年60歳。まだ若過ぎた。
〇彼女の訃報は衝撃をボクに与えた。彼女は善人で美人で才能があった。早く天に召されねばならぬ理由はなかろう。天の謀は随分いい加減なものだ。
〇彼女とボクの接点は無いと言えば何も無い。しかしボクには不思議さに溢れた人だった。その人の命がいきなり、はかなく消滅するとは。諸行無常。
〇とりあえず、陶芸家《吉田洋子》さんが亡くなったことを、そしてその訃報が衝撃的だった事実を書き留めておこう。
→リンク先「椿庵の亭主」http://takashikun.blogspot.jp/2010/03/blog-post_8689.html
「吉田洋子氏作の花瓶」http://takashikun.blogspot.jp/2010/03/blog-post_09.html

2015年7月29日水曜日

〇7/25(土) 関ケ原町「不破の関址」

↓「不破関跡 東山道の美濃不破関は、東海道の伊勢鈴鹿関、北陸道の越前愛発関(あらちのせき)とともに、古代律令制下の三関(さんげん)の一つとして、壬申の乱(672年)後に設けられたとされています。延暦8年(789)に停廃されて後は関守が置かれ、平安時代以降は、多くの文学作品や紀行文に関跡の情景がしきりと記されてきました。」
↓関守屋敷の復元。立派過ぎ。


↓屋敷の裏に、こちらから入る。右の建物は民家。屋敷は左側にある(見えてない)。


↓屋敷裏










↓芭蕉句碑発見
秋風や藪も畠も不破の関》 『野さらし紀行』


↓左側の道・中山道。
左の中山道を下って行くと直ぐに「藤古川」に至る。この川を挟んで、大海人皇子と弘文天皇(大友皇子)両軍が対峙して決戦し大海人皇子(天武天皇)の勝利に終わったという。いわゆる壬申の乱の戦地。この後探訪する。

〇7/26(土) 米原市「清徳寺・徳源院」、紅葉の名所というので探訪してみた。

〇滋賀県の紅葉の名所だというので下見に来た。秋の〇〇協会研修旅行の下見。
  ↓道誉桜
 ↓境内。中央・本堂、左・位牌堂、右端・庫裏


境内にモミジは少ない。
 
↓京極家の墓所


 ↓上段の墓所

 ↓午後遅めだったので受付の人が居なくなった。それでお目当ての庭園を見れなかった。墓所の方から庭園を見る。モミジの大木が生えている。果たしてどれだけ期待できるものか。

2015年7月25日土曜日

〇《奥の細道》北陸路、福井県永平寺町松岡・天龍寺「芭蕉と北枝の余波の別れ」

〇天龍寺は越前松岡にある曹洞宗禅の寺。芭蕉はここに一泊した。前回訪ねた時は晩秋で、芭蕉と北枝の石像は菰を被せられていたので再訪した。が、暑くて熱くて参った。

 ↓山門前の芭蕉塚

 本堂



芭蕉句碑 《物書て扇引さく余波哉
 ↓芭蕉と北枝の石像。北枝は金沢から松岡まで芭蕉を送ってきた。芭蕉は扇に句を書いてそれを二つに裂き、一方を北枝に与えた。


 ↓坐禅堂

↓藩主の位牌堂

2015年7月16日木曜日

〇南山城・古寺巡礼――試行

一休寺(酬恩庵)
→リンク先http://takashikun.blogspot.jp/2013/11/blog-post_29.html
→庫裏・庭園http://takashikun.blogspot.jp/2013/06/blog-post_19.html
観音寺
→リンク先http://takashikun.blogspot.jp/2011/11/blog-post_7663.html
寿宝寺
この寺はかつて一度探訪したことがあった。が、幾ら探し回っても行き着けなかった。今回成功したのは、灯台下暗し的観点から注意して探した結果。


 本堂
 宝物殿。扉が開いているのがミソ。ボクが出てきたばかり。
 重文・千手観音像

蟹満寺(かにまんじ)
→リンク先http://takashikun.blogspot.jp/2011/04/blog-post_4067.html
↓前回探訪時と比べて、山門が新たに建立されている。





神童寺(じんどうじ)。山奥にある。
 本堂・重文


 宝物殿。重文仏像が五体ほど収蔵されている。

海住山寺(かいじゅうせんじ)
→リンク先http://takashikun.blogspot.jp/2011/05/blog-post_09.html
↓山門


 ↓国宝・五重塔






 ↓本堂




 ↓文殊堂







浄瑠璃寺
→リンク先http://takashikun.blogspot.jp/2011/03/blog-post_9179.html
岩船寺(がんせんじ)
→リンク先http://takashikun.blogspot.jp/2011/04/blog-post.html
石清水八幡宮
→リンク先http://takashikun.blogspot.jp/2011/01/blog-post_18.html
 表参道。延々と石段を登ってくる。ボクはこの脇にある駐車場に登ってくる車道を発見した。
 左端・手水舎、右端・神門
 神門


 神楽殿
 拝門








 校倉
 本殿背後の摂末社








 ↓御本殿昇殿口
 ↓御本殿昇殿口
 ↓御本殿は見えない。わずかに本殿外垣が見える。


 表参道。
 ↓右・男山ケーブル駅


 ケーブル・男山山上駅
無人駅