2016年9月30日金曜日

〇9-24(土)松阪市「本居宣長・旧宅」『鈴屋(すずのや)』(3) 二階鈴屋に上がり坐りこんで鈴を振る

〇いよいよ二階・鈴屋(すずのや)に上がる。仏間(多分)に階段が設置されている。階段の途中に「書斎には上がらないようお願いします」という禁札が立ててある。が、今日は解禁なので堂々と上がらせてもらう。と言ってもそろそろとしか上がれない。
 ↓階段から首を出した眺め。

 ↓床の間

 「縣居(けんきょ)」とは賀茂真淵のこと。「大人(うし)」は大先生。宣長は賀茂真淵を尊敬して已まなかった。


 ↓窓から見える玄関傍の庭
 ↓床の間の懸け鈴
 六個連なっている
 ↓一塊に六個の小鈴が付いている。6×6=36個の鈴を一斉に鳴らしても可憐で幽かな鈴の音しかしなかった。
 ↓階段の降り口
 ↓そろそろとしか降りられない。
〇とうとう鈴屋に上がった。その四畳半に暫し坐りこんで大きな窓の外を眺めた。宣長もこの窓外を眺めながら勉強したに違いない。宣長が時々気休めに鳴らしたという懸け鈴も手に取って振ってみた。受付の若い女性が鈴も鳴らしてみたらいかがですかと奨めてくれなければ、多分鈴まで手に取ることはなかったろう。松阪で遂に素敵な思い出ができた。人間万事塞翁が馬

2016年9月29日木曜日

〇9-24(土)松阪市「本居宣長旧宅・鈴屋」(2)

家のものがたり
ここは、国学者・本居宣長(1730-1801)の家です。宣長は、12歳の時から72歳で亡くなるまで住んでいました。宣長の昼間の仕事は医者です。薬箱を持って患者さんの所をまわります。夕方帰ってきてから、町の人や、また全国から訪ねてくる人たちに『源氏物語』や『万葉集』など日本の古い本、たまには中国の本も講釈していました。夜も更けてみんなが帰ったあと、一人で『古事記』を解読し『古事記伝』を書きつづけました。
1階は上がることができます。当時の部屋の静けさ、暗さを体感してください。
また、奥の八畳の間に静かに座って目を閉じてみてください。この部屋は、来客との応接間ですが、宣長の勉強部屋、また大きくなってからは教室にもなりました。受付でお渡ししたパンフレットに、17歳の時に描いた「大日本天下四海画図」の写真が入っていますね。
幅が2メートルもある大きな地図を作製したのはきっとこの部屋でしょうね。
宣長は7人家族。奥さんと5人の子供がいました。お母さんや子供たちはどこでお話をしたり、遊んだり、寝たりしていたのでしょうか。
53歳の時に宣長は二階を増築し、自分の勉強部屋を作りました。窓の大きな明るい部屋です。勉強に疲れたときにならす鈴を掛けたので、「鈴屋」という名前も付けました。
いまは、二階に上がっていただくことはできませんが、家の向かい側、石垣の上から部屋をのぞくことができます。
この家は、1691年に建てられました。人間なら、もう325歳、超高齢者です。百年ほど前に、松阪の人が町の誇りを火事などから守ろうと魚町からこの場所に移しました。たたいたり、飛び跳ねたりせず、やさしくしてあげてください。‥‥

〇9-24(土)松阪市「本居宣長旧宅」(1)

〇本居宣長記念館に辿り着くと、なんと来年3月までリニューアルのため閉館。四年前に来た時は、月曜定休で閉館。よっぽど記念館とは縁がない。
〇四年前は本居宣長旧宅も月曜定休で入館できなかったが、今回は土曜日なので開館。
↓宣長は医者だった。塀の左に玄関入口があり、その左の格子戸の部分が店の間。
↓普段は旧宅には一階しか入れず、二階の鈴屋(すずのや)・宣長の勉強部屋には上がれない。そのため二階を眺められるように高台に拝観所が作られている。その拝観所に立っている。二階と言っても外から見ると中二階に見える。松の木の左に見える中二階が宣長の勉強部屋
↓中二階の拡大。今回は記念館がリニューアル閉館の代わりに、この中二階が開放され見学できた。宣長と縁がないとは言い切れない。願ってもない幸運に恵まれたかも知れない。
↓店に入る玄関
↓玄関から勝手口を入った炊事場・台所を覗く
↓炊事場
↓台所
↓台所横の物置の間に、二階の勉強部屋に昇り降りした元の階段が保存されている。
↓玄関横の「店の間」

↓店の間の前の庭。玄関もここ。

↓店の間の一間奥の「中の間」と「奥中の間」

↓中の間・奥中の間の一間奥の「仏間」
↓「店の間」から「中の間・奥中の間」、「仏間」、「奥の間」、奥庭を見通す。家の中は暗い。
↓「仏間」から「中の間・奥中の間」、「店の間」を見通す。
↓「仏間」の一間奥の「奥の間」 この部屋に弟子・門人達が集まった。
↓「奥の間」の床の間


↓古事記伝の複製本が置いてある
↓「奥の間」から庭を見る。蔵が見える。この蔵の中に、宣長の著作物が約16.000点蔵されていた。そのほとんどが今「本居宣長記念館」に蔵されている。うち約2.000点が重要文化財。




〇いよいよ今回の訪問の特典として旧宅二階・鈴屋(すずのや)に上がる。

〇9-24(土)松阪市「松阪城」

〇松坂市営駐車場(無料・時間無制限)から本居宣長記念館へは、松阪城の石垣伝いに行く。


 ↓表門入口

 ↓裏門に至る

裏門
 〇裏門に、本居宣長旧宅・鈴屋(すずのや)の入口・桜松閣の門がある。

↑門の屋根に「シビ」が向かい合って載っている。四年前に出遭った城山氏の説明では、シビが屋根に載っているのは東大寺大仏殿と唐招提寺金堂それにここ本居宣長旧居の入口門の三箇所しかないそう。
〇四年前の松阪城探訪記は→
http://takashikun.blogspot.jp/2012/08/blog-post_25.html

2016年9月28日水曜日

〇9‐23(金)三重県亀山市関宿「地蔵院」に重文三棟を訪ねる

〇「亀山市関宿伝統的建造物群保存地区 地蔵院
関宿の特徴をもっともよく表す景観は、鈴鹿の山々を背景にした地蔵院の屋根を中町の町並み越しに見たところです。地蔵院は古くから関の中心で東海道はここで緩くカーブしています。ここから東の方、中町は宿場の中心で様々な意匠の町屋が集まっています。また、西方、新所では軒高さの比較的低い家が多く、落着いた町並みをつくっています。」
 ↓地蔵堂の屋根。中町(東)方面から新所(西)方面を見ている。道は旧東海道
 ↓地蔵院前の関宿の町並み
 ↓地蔵院前から中町(東)方面を見る。旧東海道が緩くカーブしている
 ↓重文・地蔵堂



 ↓重文・鐘楼

 ↓重文・愛染堂


 ↓一級禅師・石像。禅師と地蔵院は因縁が深いらしい
 ↓地蔵菩薩銅像。像の下が永大供養納骨堂になっているらしい