2011年10月31日月曜日

〇10/29(土)、安曇野・池田町美術館の岡の上から

北向きに撮影。逆光を免れている。中央の森は鎮守の森。黄葉が綺麗なんだが、今年は未だ色づいていない。手前の葡萄畑が赤く色づいている。土地改良されたんだが、以前は荒地。背後の山は名山が連なっている。左の大きな尾根は「蓮華岳」。中央やや右の三つの角を持つ山か「爺が岳」、その右・双耳峰が「鹿島槍ヶ岳」、右端が「五竜岳」。西向きに撮影。太陽が北アルプスの山の端にかかっており完全な逆光。中央の形の好い山が「有明山・有明富士」、その右が「燕岳(つばくろだけ)」、左が「大天井(おてんしょ)岳」。手前の赤い畑は葡萄畑、今年から新登場。

〇10/31(月)、曇り・雨。信州に向けて再出発。北陸道・立山ICで下りて上市町の「日石寺」と「立山寺」を探訪がてら。

北陸道・立山ICで下りて上市町の二つの寺を探訪しつつ信州へ。どうせ今日も雨模様で絵を描けないので。一つ目の寺は「大岩山・日石寺(にっせきじ)」。冬場の滝修行で有名らしい。真言宗。本堂の内陣奥に巨大な磨崖仏の不動明王が祀られている。国重要文化財。秘仏化されていないのが良い。三重塔は外壁がない、塔心も丸見え。財政難の結果らしいが、かえって新鮮な感じがするから不思議。こんな三重塔は他にない。そう言えば南河内の歓心寺の「掛かり堂」は三重塔の一階部分で工事がストップしたまま御堂として屋根を葺いたという珍しいものだったなぁ。明治維新までは修験道の聖地として栄えたよう。二つ目の寺は「眼目山・立山寺(りゅうせんじ)」。曹洞宗の禅寺。モミ・スギの林立する参道は見事。この後雨を衝いて糸魚川から姫川沿いに遡上。梓川SAで宿泊する。明日は晴れると言うから絵を描くつもり。伊奈谷に入ろうと思う。

〇10/30(日)、小雨。朝・妙高高原いもり池、昼・黒部峡谷鉄道で欅平へ

土曜日は白馬・仁科三湖・池田町美術館前と南下し、一転北上して戸隠・妙高の山中に入った。戸隠鏡池到着は午後六時。戸隠の紅葉の具合を見分に分け入ったんだが、漆黒の闇で何も見えず。セレナのライトに浮かぶ手近の木々の黄葉は殆ど落ちている。戸隠は今年は完全に終わったと観念。妙高高原池の平の定宿「シェーネ」で宿泊。日曜日午前、「いもり池」の紅葉具合を観察。名物の中島の鮮やかな楓は七割方紅葉を散らせていた。いもり池の黄葉の最盛期は例年十一月初旬と観念していたが、今年は早い。今度の旅行では大失敗をしでかした。パソコンを忘れてきた。それがないと、写真の整理もブログの更新もできない。実に詰まらん。パソコンなしで旅を続けても面白くないので、それを取りに一旦七尾に戻ることに。日曜日の天気は雨で、月曜日も雨の天気予報だから丁度好いか。いもり池を発つときには戻りコースの黒部ICで下りて宇奈月温泉に行き「黒部峡谷鉄道」に乗る計画が立っていた。欅平まで行き黄葉の黒部峡谷の秋を満喫する。宇奈月温泉の駐車料金は高い、900円。トロッコ電車の料金は往復で3,300円。撮影のため屋根だけの車輛で往復したら寒かった。が、写真を撮りまくれた。黒部の秘境の奥深くまで電車で往復してきたなどとは信じられない。終点欅平駅から20分ほど歩いた所に「名剣温泉」の一軒宿があった。金沢のスキー・登山用具店「ケルン」の奥さんの実家。吾輩の心臓と脚では生涯絶対行けない北アルプスの山小屋的宿と観念していたので意外。女房といつか泊まりに来よう。晩七時過ぎ帰宅。天気予報を確認したが、月曜日の信州はやはり雨。しかし、火曜日から土曜日まではほぼ晴れ。月曜日に絵を描くためにまた出で発つことに。パソコンは絶対忘れないこと。

〇信州・仁科三湖(青木湖・中綱湖・木崎湖)

白馬から旧道を辿って仁科三湖の湖畔沿いに行く。
↓ 青木湖。遠景の霞んだ山は白馬連峰。
↓ 中綱湖。亡き『奥田憲三』先生と並んで描いた想い出の地。桜(紅葉)と落葉松(唐松・黄葉)と杉(常緑)の取り合わせが絶妙の秋景色を織りなす。ところが、桜の紅葉は既に散り、唐松の黄葉はいまだし。奥田先生と来たときは、赤・黄・青緑の三原色が絶妙に揃っていた。情けないことに樹木の季節感がずれてきている。
↓ 木崎湖。遠景に霞む山は北アルプス連峰。連峰右端に有明富士が見えている。
この風景が絵になると思っているのは吾輩くらいだろうが、絵になるための大事な条件が二つある。一、大気が澄んで遠景の連峰に微妙なそれぞれの色がつくこと。二、湖面が鏡になること。何度この風景に逢いに行っても、そうなってくれない。
次は、大町を通り越した先の池田町美術館の丘上を訪れる。

〇10/29(土)、流浪の旅に出立。白馬・安曇野・戸隠方面へ

前夜午後三時まで読書したせいで(眠れそうにないのでその時間まで読書したのが真相か)、土曜日の出立は午前十時過ぎと出遅れた。天気は予報通り晴朗。この時刻では、白馬・安曇野に着く頃は午後の日が大きく西に傾き風景はすべて逆光となり絵になるまい。それでも出発したのは、信州の平地・山地の紅葉の具合を見分するため。紅葉の盛期は毎年違う。先ずは「白馬」。桜の紅葉は既に去りほぼ落葉している。黄葉は盛期には今一。
↓ 左・八方尾根、中央・天狗尾根、右・白馬槍が岳と杓子岳
↓ 左から天狗尾根、白馬槍が岳、杓子岳。手前の山が牛岳(牛岳スキー場がある)

左から順に天狗尾根、白馬槍が岳、杓子岳、白馬(しろうま)岳。川は松川
左端は八方尾根
左から白馬岳、中央が小蓮華岳、右端が白馬乗鞍岳
絵葉書に登場する白馬大出の絶景ポイント。中央に黒い釣り橋が架かる。
白馬三山(槍が岳・杓子岳・白馬岳)
紅葉は散ったが、黄葉には今一という情けない状態

2011年10月28日金曜日

〇10/28(金)、今日から三日間「彩の会」と「のと写団」の合同展が七尾美術館で催されている。出品作「白馬の秋」「伊奈の秋」「余呉湖の秋」

例年、吾輩は多数の出品をするんだが、今年は未だ一枚も描いていない。故に出品作はない、困ったもんだと思っていた。幹事の加地さんから「一人三点以上出品すること」と厳命されているので弱っていた。すると、去年の展覧会後に紅葉の風景を描きに出て描いた作品があることに気付いた。その中から今年は三点だけ出品することに。
↓ 白馬大出にて。紅葉には今一早かった。 ↓ 伊那・千人塚にて。紅葉の盛りにドンピシャリ。


滋賀県・余呉湖。紅葉の真っ盛り。



〇10/28(金)、10月最後の週末。今年初めての写生に出る。白馬・戸隠・妙高方面

10月末となると戸隠鏡池の紅葉はもう盛りを過ぎているだろう。白馬・妙高は紅葉に未だ少し早かろう。そろそろ黄葉シーズンの写生旅行に出ねばなるまい。考えてみると今年は未だ風景写生を一枚もしていない。春の花のシーズンは探訪・撮影旅行に明け暮れた。この週末は、白馬・戸隠・妙高方面を当たってみよう。絵を描くなら明日・土曜日。日曜日の天気は悪いらしい。

〇京都府綾部市「光明寺」「国宝・仁王門」

大徳寺から綾部市「光明寺」に向かうと雨がひどくなった。亀岡・園田と雨を衝いて走る。綾部市役所前に着いたときは午後三時に近かった。駐車してカーナビで光明寺を検索するがヒットしない。インターネットで検索しようとパソコンを開いたら、吾輩のセレナが邪魔で車庫入れ出来ないマイクロバスが出てきた。セレナを動かした。ついでと言ったら変だが、バスの運転手に「国宝・仁王門」のある光明寺に行きたいんですがどう行けばいいんですか、と訊いてみた。定年に近そうなその運転手の言うには「本当に光明寺に行くんかね。遠いよ。口で言っても分らん。図を書いて上げよう」。そして雨に半分濡れながらセレナに首を突っ込んで絵を描いてくれた。その絵を頼りに出発した。絵があっても辿り着くのは至難だった。絵がなければ着くのは不可能だった。とんでもない奥山の頂上に「光明寺」はあった。
↓ 幸いセレナで山頂近くまで行けた。駐車場の近くに本堂に至る石段があった。
本道が見えてきた。



本堂



丘になっているところに行者堂があった。



鐘楼



この堂の名前は分らない






無名の御堂



本堂


境内を一巡し目を凝らすが、肝腎の「国宝・仁王門」が見当たらない。境内より一段下に庫裏があったので訪れて国宝の所在を問うた。住職らしい平服のおじいさんが玄関先まで出てきて仁王門の所在地を指し示してくれた。300mほど下るそう。その下に「あやべ温泉」があるという。


↓ 細い坂道を下る。



「国宝・仁王門」に出逢うことができた。表側から(下の綾部温泉から登って来る恰好で)見ている。









裏側から(光明寺本堂境内から下ってきた格好で)見ている。雨で煙っている。



裏側






裏側



表側



表側






真横






裏側



仁王門から本堂境内に至る坂道・参道の両側に平坦地が開かれていて雑草に覆われている。往時はこの平地に僧坊が90余建ち並んでいたという。修験道の山だったろう。


これで、京都府下の国宝建築物の探訪は完遂した。奈良県の探訪は先日完遂したばかり。読者諸氏は国宝建築物が最も多い府県を御存じだろうか。1位は奈良県(寺院60、神社4)。京都府が2位(寺院29、神社7)というのは意外でしょう。3位以下はちょっと難しい。3位は滋賀県(寺院12、神社7)。これも結構意外でしょう。4位は和歌山県(寺院7)と広島県(寺院6、神社1)。後に続くのは兵庫県(寺院6)と栃木県(神社6・これは言わずと知れた日光の神社建築群)。本州で未だ探訪していない国宝建築物は、愛知県西尾市「金蓮寺・弥陀堂」、広島県「向上寺・三重塔」「不動院・金堂」「明王院・本堂」「明王院・五重塔」、山口県「功山寺・仏殿」「瑠璃光寺・五重塔」「住吉神社・本殿」。必ずや探訪する。

山を下り週末を残して七尾に帰還することに。綾部から帰郷するとなると京都に戻るよりも若狭・小浜に出た方が近い。帰宅は午後9時。女房が吾輩の顔を見て驚いていた、日曜日に帰るものと思い込んでいた。吾輩は答えた、「週末は休まなければ」。

2011年10月27日木曜日

〇10/14(金)、京都市「大徳寺」「国宝・唐門」「国宝・方丈及び玄関」「大仙院・本堂」探訪

新熊野神社を発したのが昼過ぎ。先日の夕方閉山ぎりぎりに駆けつけて「拝観謝絶」の目に遭ったのと違い、今日は余裕綽々で大徳寺の国宝群を拝観できると勇躍駆けつけた。


勅使門・山門・仏殿・法堂と経由していよいよ宗務本所の門に差し掛かった。この門を潜れば待望の国宝建築群が待っている。


と、入門を遮る衝立が。


何と「拝観謝絶」の無慈悲な文字が。ということは、先日の「拝観謝絶」は閉山時刻が過ぎたが故のことではなく、常に「拝観謝絶」なのだ。怪しからん、が、仕方がない。バスガイド嬢が語ってくれたところでは、大徳寺の好意で乗客に限って大方丈の庭園だけ見せてもらっているそう。そう言って横手の垣根の入口に乗客を誘導し最後の客が入ると入口を閉めた。

吾輩は決然と、京都府下で最後に残された国宝建築物である「国宝・光明寺仁王門」の探訪に出ることにした。光明寺は綾部市の奥山深くにある。綾部市は福知山市に近い。七尾への帰路は、京都に戻るよりも若狭・小浜市に出た方が近い。雨が降り出した。

〇10/14(金)、京都市「新熊野(いまくまの)神社」

京都を伏見方面から伏見稲荷大社・東福寺と国道を北上して来ると左手に大楠の枝葉を鬱蒼と大道の上にまではみ出させている神社がある。それが「新熊野神社」。一度は探訪せねば、と思っていたが、駐車場難で失敗していた。今日は近くに小さな民間駐車場を発見。 大楠




大楠は、後白河上皇の御手植えと伝承されている。後白河上皇は生涯に30数度も熊野御幸を敢行したが、晩年熊野の土と木を運ばせてこの地に神社を創建した。それが「新熊野神社」。




拝殿




本殿