2013年7月31日水曜日

NO.14 〇木曾路「妻籠宿」(二) 木曾路の真珠。

↓宿屋の建物




↓石置き屋根が醸し出す風情が何ともいえず好ましい。


復元保存工事がされている「厩(うまや)」。宿場街にとっては厩は大事な施設だった。幕府の命令によって・各宿場毎に常備しておくべき馬の数が決められていた。
石置き屋根の古民家。笠屋さん。
パックの木曾の青い山並みに宿場町の建物群の赤(焦げ茶色)が映えて美しい。




↓以下の三枚は同一の家。妻籠の民家の標準的な造りを残している。
右側に作業場。
土間通路を挟んで反対側に居住空間。茣蓙(ござ)の上での生活。プライベートの間はない。
↓昔ながらの伝統的建物で構成された家並は美しい。神々しい。ここに、コンクリートや新建材の建物が混ざった風景は、そうぞうするだにおぞましい。これだけの古い街並を保存する住民の苦心苦労は目に見えないが、風情の中には織り込まれていると思う。




NO.13 〇木曾路「妻籠宿」(一)。木曾路の真珠。伝統的重要建造物群保存地区の白眉。

〇妻籠宿を歩くといつも心を洗われる。そこには日本の江戸時代を通じた原風景がある。西洋文明・文化に塗れない日本人の心の故郷がある。ここで、木曾路の宿場街で生まれ育った人達の日本人魂が今も息づいている。
↓妻籠宿への入口

場末の高札場。
高札

↓脇本陣
古民家
その中で、観光用の工芸実演が行われている。
本陣跡。
本陣の門から中を覗く。前に入館したことがある。今回は時間なし、入館料高し、で遠慮。
↓この古民家を何故わざわざ写したか。
その訳はこれ。ツバメが居間まで入り込み天井に巣を作って子育て中。子育てツバメの最大の天敵はカラス。軒先の巣も、カラスに襲われることがある。それでツバメは、許されれば・人間と密着した所で子育てする途を選ぶ。さすがのカラスもここまでは入ってこまい。
↓往時の宿場町の佇まい。
↓桝型(ますがた)





↓保存するのが大変だろうと思える超古民家。
寺の入口
往時の宿屋はこういうモノだったと思わせる伝統的建物群。

〇続く

2013年7月30日火曜日

NO.12 〇木曾路「木曾の桟(かけはし)」。福島宿と上松宿の間にあった。

ボクが木曾路を何回走っても解せなかったのは「木曾桟跡」である。対岸から見ればよく分かると書かれているので対岸に渡ってつらつら観察したがどうにも分らない。桟がそもそも何処にあったのかが分らない。その説明文は次の通り。
「桟は、険しい崖に橋を架け、わずかに通路を開いたもので、木曾桟は歌枕にもなっていると共に、県歌「信濃の国」に歌い込まれており、寝覚ノ床と共に木曾路の旅情を温めたことでその名が高い。昔は険しい岩の間に丸太と板を組み、藤づる等でゆわえた桟であったが、1647年にこれが通行人の松明で焼失した。そこで尾張藩は1648年に長さ102m・中央に14.5mの木橋をかけた石積みを完成した。このことが今も大岸壁と石垣に銘記されている。1741年の大改修と、明治13年(1880)の改修と、二度にわたる改修で、木橋下の空間はすべて石積となり、残されていた木橋も、明治44年(1911)には、国鉄中央線工事のため取り除かれてしまった。現在、石垣積みの部分は、国道19号線の下になっているが、ほぼその全貌が完全な姿で残されていることが判る。‥‥」
 どうやら国道下の石垣積み部分が、かつての木曾の桟(かけはし)だったと言っているよう。
 ボクはこれまで、国道の真上にあるこのコンクリート工事をした絶壁の方に目が行ってしまっていた。何せ「桟道」と言えば、ボクの脳裏に浮かぶのは「蜀の桟道」の様な凄まじい・恐ろしいものだった。
 どうやら木曾谷はこの部分で、木曾川によって山の裾まで削られ、そこが絶壁を成していて、細道さえも普請する土地がなかったらしい。それで桟道がかけられていた。
 ↓対岸に渡ると「芭蕉句碑」があった。
 ↓「かけはしや・命をからむ蔦かつら」
〇次は上松宿の「寝覚ノ床」の順番なんだが、二度訪れたこの奇勝の写真が見当たらない。ので、棚上げして、次は「妻籠宿」。木曾路の旅のハイライトは、この妻籠宿で堪能できる旅情豊かな原風景。

NO.11 〇木曾路・宮越宿「巴淵」「義仲館」「徳恩寺、義仲・巴御前・重臣らの墓地」

「巴淵」石碑。義仲と共に旗挙した・妻巴御前が少女時代にこの淵で水練して心身を鍛えたと伝えられる。


 ↓「義仲館」。木曾義仲公に関する資料が展示されている。以前入館したことがあり、今回は遠慮。

 義仲公と巴御前の銅像。貴族臭くなく・木曾育ちの男女風に創作されている所が良い。
 ↓徳音寺。
 山門
 本堂。左奥に・木曾義仲公霊廟が見える。
 ↓木曾義仲公霊廟(おたまや)

 霊廟
 木曾義仲公・彫像
 霊廟の左奥の山裾に墓地がある。
 中央に木曾義仲公の墓。
 ↓右、木曾殿四天王・今井四郎兼平の墓
 ↓右・巴御前の墓。左・木曾殿四天王・樋口次郎兼光の墓

〇宮越宿は、木曾義仲がここで育ち・ここで旗挙し・ここに霊魂が眠っていることを実感・想像できる重い土地。木曾に惹かれる人は、この地を訪れるべし。