2013年10月31日木曜日

〇8/8(木)兵庫県朝来市「粟鹿(あわが)神社」。但馬国一ノ宮。

粟鹿神社(あわがじんじゃ)は、兵庫県朝来市にある神社。式内社(名神大社)、但馬国一宮。旧社格は県社。但馬五社の一社。
祭神は以下の3柱。
 彦火々出見命
 日子坐王
 阿米美佐利命 - 大国主の子。
但馬国随一の古社であり、2000年以上の歴史があるとも言われる。和銅元年(708年)に祭神や歴代祭主などを詳細に記した粟鹿大明神元記の写本が残る(宮内庁所蔵)。朝廷の信頼厚く、国家の大難に対して4度の勅使が遣わされたと伝えられており、約600年前には勅使門が建立されている。日下部氏との関係が深い。
粟鹿とは、鹿が粟を三束くわえて山(粟鹿山)から現れ、人々に農耕を教えたことからつけられ、粟鹿神社にその鹿が祀られていると言う。
 ↓右・勅使門、左・神門
 ↓以下、勅使門
 
 ↓以下、神門・随身門
 
 ↓左・神門、右・勅使門
 ↓神門前の絵馬殿。殿とはとても言えないので、そうは表示してなかった。
 ↓神門・外側を護る衛士
 
 ↓神門・内側を護る狛犬。
 
 境内に末社が数々散らばっているが、紹介を省略。
↓拝殿。
 ↓拝殿と本殿
 本殿
 拝殿と本殿
 本殿
 拝殿
【但馬国一宮について】但馬国一宮は出石神社と当社の二社とされる。但し、いくつかの資料で異なっており、鎌倉時代の但馬国大田文では当社を二宮としているが、室町時代の大日本国一宮記では当社を一宮に挙げ、出石神社が記載されていない。現在は両社ともが但馬国一宮を称し、全国一の宮会に加盟している。

〇8/8(木)京都府福知山市畑中「島田神社」。重文・本殿を求めて。何度も諦めかけたが、最後は執念で。

福知山市畑中地区は純農村地帯。目指す「島田神社」は全く見当がつかなかった。集落内に入ったり・山中深く入ったりしながら右往左往。何度諦めかけたか分らない。残る所は・あのこんもりした森の辺りしかない、あそこで見つからなかったら諦めようと思って行って見ると、森の中には自動車では入れない。人道しかない。セレナ君を乗り捨てて近づくと、あった!藪に埋もれて「島田神社」の解説立看が。
「案内文」から。「島田神社の創立は明らかでないが、中世の豊富庄の総社が当社に当たると考えられる。現本殿は京都府北部では数少ない中世神社本殿遺構として貴重なもので、内陣の墨書から文亀2年(1502)の建立と判明する。この本殿は三間社流造で、内部は内陣を三室に区画し、各外陣境に板扉を構え、両端室には永正3年(1506)の墨書のある一間宮殿が置かれている。‥」
↓拝殿
↓本殿が、拝殿の背後に見える。

↓以下、本殿・重文。



↓以下、本殿の平成・解体修理工事。






〇10/31(木)奇蹟は起きる(゜o゜)/セレナ君が復活してボクの許(もと)に戻って来たァ\(^o^)/

セレナ君が復活しました。不死鳥のように。
セレナ君を壊した翌朝、事務所の山崎さんに「廃車」の手続きを頼むと、車庫に見に行ってきた彼は・掛かりつけの自動車修理会社に電話した。その顔に・あれで「廃車」は可哀想でしょうと書いてあった。直ぐにいつも世話になっているS氏が見分に来た。ボクは立ち会わなかった。S氏は山崎さんの説明を聞きながら・フンフンと気楽に相槌を打って・乗って来た車を代車に置いて・セレナ君をさっさと連れて行ったそう。その際・中古の部品を当たってみます・との言葉を残して。それから間もなく・間に合いそうな中古部品が見つかった旨の電話があった。ボクは、フーン!蛇の道は蛇、専門家は違うもんやなぁと感心しましたが、セレナ君が戻って来れるのは・文化の日の連休明けのいつの日か・だろうと考えていました。そしたら今朝、突如としてセレナ君が車庫に戻って来たのです。どこから見ても元の状態。復活したのです。不死鳥です。
もう流浪の旅は終わりにしようと覚悟していたのに・また出掛けることになりました。この週末の文化の日・三連休、何処へ紅葉鑑賞に行くか・これから検討せねばなりません。今後は、老骨のセレナ君との残り少ない同行(どうぎょう)の旅人生を・有難く過ごさせて戴きます。セレナ君に労(いたわ)りの言葉を掛けて上げながら・同行の旅を続けようと思います。セレナ君を傷つけることは・もう絶対にしないゾォ(`´)。

2013年10月30日水曜日

〇8/8(木)京都府京丹波町「九手(くて)神社」。重文・本殿を探訪。

〇九手神社は丹波国、現在の京丹波町にある。祭神は、大山咋命(おおやまくいのみこと)。京都嵐山・松尾神社の分社。




↓ 以下、本殿・重文







長元2年(1029)社殿造営。明応7年(1498)再建。本殿は重文。特に「蟇股(かえるまた)」「勾欄(こうらん)」は、室町時代の建築様式そのまま。

〇10/30(水)《近大マグロ》。ご立派!!

〇北陸中日新聞2013/10/30より写真拝借。
近畿大は、2002年にクロマグロの卵からの養殖に世界最初に成功。和歌山県など全国七カ所の水産研究所ではシマアジやヒラメなど18種類の魚も養殖している。近畿大は、「近大マグロ」(養殖クロマグロ)などを専門に提供する料理店「近畿大学水産研究所・銀座店」を東京・銀座に出店すると発表。近畿大による料理店開業は、四月のJR大阪駅前に続き二店目。大坂の一号店は、行列が途絶えた日がない盛況ぶり。
〇養殖マグロの面相が、天然マグロとちょっと違うような感じ。撮影ポイントの違いか。頭が丸くて・顔が穏やかに見えないですかぁf^_^; それにしても近畿大水産研究所の業績は立派というべし。クロマグロの世界的な乱獲で資源枯渇問題が深刻化している中で、卵からの孵化養殖事業を発展させているとは素晴らしい。天然マグロの救世主、日本の食文化の護持者たり得るか。
〇追記。考えてみたら、写真の大クロマグロ、生(なま)モノであるはずがないなぁ。模型や。

2013年10月29日火曜日

〇10/27(日)白馬村神城三日市場に「神明社」を探訪。重文・神明社本殿&諏訪社本殿を訪ねて。

〇鬼無里村から白水峠を越えて白馬村神城三日市場に下りてきた。頭頂部を冠雪した白馬連峰が見えた。
 「神明社」を発見するのは二(ふた)苦労だった。カーナビに表示がなければ、道路に案内もない。もう勘だけが頼り。その勘も当たらない。失敗を重ねた末に、もうあの山裾辺りの森しかないと絞りをかけて探訪してみると・やっと当たった。石碑に「重要文化財・神明社」と刻字されている。

 参道坂道を登ると、神木が雷に撃たれて朽ち果て・根株の残骸だけを晒していた。
 ↓右から拝殿、廊下、そして本殿・覆い屋。
拝殿
 ↓拝殿
 ↓拝殿と本殿覆い屋の一部。
覆い屋

 ↓神明社本殿と諏訪社本殿が重文に指定されたのは、以下の「棟札」が残っていたればこそ。


 ↓神明社本殿の写真。小さくて至って簡素な社殿。

 ↓棟札により、再興造営されたのが天正12年(1588)、大工は「仁科の宗大工周防の守」であることが判然。仁科の大工とは、国宝・仁科神明宮を手掛ける大工の棟梁のことだろう。

↓八幡社には棟札がない。∴文化財としての価値が確定されない。

以下、掛け仏。

最後にもう一度本殿覆い屋を撮影。
↓末社の覆い屋。中に小さな末社の社殿が幾つも納まっている。
〇これで今回の旅の目的は遂げた。あとは一目散に姫川沿いに下って日本海・糸魚川に出て、七尾に戻った。そして午後七時、セレナが無事お勤めを果たしてボクを自宅車庫に降ろしてくれた時、ボクの落ち度でセレナを壊した。重症。ボクはもう旅に出る人生の終焉を覚悟した。