2012年7月3日火曜日

〇勝山市の驚愕の「福井県立恐竜博物館」(1)

〇勝山市に「福井県立恐竜博物館」が設立されたのは、ここから恐竜の化石の一部が発掘されたから。ボクはどうせ田舎の外道の博物館で行けばきっと幻滅するだけと決めつけていて、永らく足を向けなかった。ところが豈はからんや、これが驚嘆させられる世界最高水準を行く大博物館。16:30の入館制限時刻ギリギリに駈け込んで17:00の閉館と共に出てきたが、それはとても失礼なことだった。たっぷり一日かけて堪能しないといけない博物館。今度出直して敬意を表そう。


↓入口を入ると、そこは三階。エスカレータで一階に下り、そこから探訪が始まり、三階に戻って探訪が終わる。

↓一階から三階(入口)を見上げる。


↓圧巻は、このティラノ・サウルス。ITプログラムで絶妙の複雑な動きをする。本物と見まがう。子供たちに恐怖を巻き起こすそう。













↓魚類。90°左回転させて見てもらうと、迫力が伝わる。


2012年7月2日月曜日

〇岩屋観音の大杉


拝殿・左と本殿・右。
これぞ!大杉。

〇岩屋観音の大杉を探訪するのはこれで何度目だろうか。来る度にその生命力の旺盛さに圧倒される。立山杉が連想される。姿も形成因もそっくり。冬の大雪のせいでこうなるのだ。雪の重みに押し潰されても潰されても、不撓不屈の生命力で上へ上へと伸び上がる。それを毎年永年営んできた結果がこの姿。








〇7/1(日)豪雨下、若狭の国へ。三方石観音、国宝・明通寺、若狭国分寺、蘇洞門(そとも)遊覧船。

北陸自動車道・南条SAで朝六時に目覚めた。雨模様。八時頃出発。美方町を走っていると「三方石観音」の案内があったので探訪。若狭街道を走る度にこの石観音の案内が気になってはいた。小浜市域に入って先ず訪れたのは「明通寺(みょうつうじ)」。ここの本堂と三重塔は鎌倉時代建立でいずれも国宝。再訪だが、前回来たときは三重塔が修復中で見られなかった。今回は雨中の参詣だったが、両国宝が見られた。重文・仏像が四体ある。「若狭国分寺」も探訪した。遺跡となっているのだが、金堂跡に釈迦堂が建てられて、国分寺と称している小寺院がある。遺跡のど真ん中に古墳があり、古墳の頂上に若狭姫神社がある。小浜フィッシャーマンズワーフに着いたら雨が上がった。これまでは欠航の不運に遭ってきたが、今回は無事乗船。余り期待せずにおこうと思っていたが、それでよかった。とにかく「蘇洞門」を見た。正午過ぎに帰路に就いた。帰路は殆ど豪雨だった。今回の旅は、薬を持ち忘れたので意気が上がらなかった。帰路、服薬していないのに猛烈な睡魔に襲われて道路脇(下道)とSAで二度仮眠した。

2012年7月1日日曜日

〇「越前・竹人形の里」

丸岡から勝山に行く主要地方道沿いに「越前竹人形の里」がある。


↓この人は「師田黎明」氏。戦後、この人の父が創建した「越前竹人形」の工房を継いで、昭和30年代に今日の「越前竹人形」の基礎を創り上げた。

〇ところで「越前竹人形」が有名になったのは、小説家「水上勉」の同名の小説に負う。小説では、時代は戦前、舞台は南条の山村になっている。しかし、戦前には「越前竹人形」は影も形もない。南条方面の山村に「越前竹人形」が作られていた痕跡は全くない。小説は、水上勉の完全な創作・フィクション。しかし、水上勉は取材し構想のヒントを得ただろう。その取材源こそ、師田黎明氏の父親か氏の創作にかかる「越前竹人形」だったろう。
↑髪の毛を作り出している。この小刀には刃が付いていない。竹を細く細く割いているだけ。
↓展示室の人形達。非売品。値を付けるとすると、非常に値が張る。目の玉が飛び出るかも。