2012年6月26日火曜日

〇歌枕・古代の「不破の関」跡

 ↑「壬申の乱(672年)後、畿内と東国の接点である美濃国不破郡関ケ原に関が置かれ、大宝令(701年制定)によって、東海道「伊勢鈴鹿関」・北陸道「越前愛発(あらち)関」と共に東山道「美濃不破関」が「三関(さんげん)」として規定された。不破関は軍事・警察の機能を兼備する重要な拠点だった。美濃国府の国司四等官が分番固守し、多くの兵士が配置されて国家の非常事態に備え、また一般の通行を取り締まっていた。この様に不破関は奈良時代の重要な国家の施設だったが、延暦八年(789年)三関は突如として停廃された。兵器・糧備は美濃国府に運収され、諸建物は便郡(不破郡)に移建されてしまった。」
〇都に大事が発生すると「固関(こかん)」(関所を閉ざす)が何度も行われたことが古記録にある。
〇関の停廃後もここで通行税の徴収をする者がいたらしい。
〇短期間しか存在しなかった不破関が有名なのは、歌枕として詠まれて古代ロマンを掻き立てる淵叢となったから。
 ↑近年発掘調査が行われほぼ関の全容が分ってきた。上図は模型図。この中心施設の外周を広々と柵が囲っていた。一画は川。三辺が柵だったことになる。道は東山道。
↑不破の関跡に「不破関跡資料館」が建っている。入館料は100円。ボクが受付したら、たった一人の係の人が驚いていた。

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