2016年10月31日月曜日

〇2016-10-23(日)珠洲市宝立町春日野「重文・白山神社本殿」「高井の地蔵杉」「曽の坊の滝」

〇珠洲市宝立町の山奥に春日野の在所はある。古くから人が住みついたところと見えて見るべきものが幾つかあった。
↓高井の地蔵杉



 ↓山村・春日野の在所の古寺「法住寺」。「南無大師遍照金剛」とある。能登には珍しい真言宗寺院と見える。





 〇寺と並立するようにある重文「白山神社」


 拝殿
〇「重要文化財・白山神社本殿 ‥‥建立は、形式、技法等から見て、室町時代末期を降らないものと見られる。また神輿庫内の厨子台座に永正7年(1510)と墨書があり、これに近い時期が考えられる。中世には、法住寺とその鎮守の当白山神社は、若山庄の領家である日野家の祈祷所となっていた。また、白山神社の存在は、弘安7年(1284)の地頭の寄進状などにより確認できる。‥」
 〇重文・本殿



 ↓山奥の「曽の坊の滝」まで足を延ばした



〇この山中で、セレナ君が事切れた。別れが突然やってきた。14年間苦楽を共にした。

2016年10月29日土曜日

〇《奥の細道紀行》2016-10-22(土)小松市「多太(ただ)神社参道」「斎藤実盛の兜」「松尾芭蕉像」「実盛像」

〇小松市・多太神社参道。この参道が由緒深い。前回この神社を訪れたときはこの参道を歩かなかったので再訪。
 正面奥が拝殿
 ↓斎藤別当実盛の兜。木曾義仲がこの神社に奉納した。現存するらしい。重文



 〇芭蕉句碑 《むざんやな甲のしたのきりぎりす》
 ↓「松尾芭蕉翁」石像




 ↓「斎藤別当実盛公」石像





2016年10月28日金曜日

〇《奥の細道紀行》2016-10-22(土)加賀市「実盛塚」

 ↓駐車場から「実盛塚」は離れている。その入口を発見するのはなかなか難しい。
 ↓「篠原古戦場・実盛塚」


 〇「実盛塚 この一帯は源平争乱の舞台「篠原古戦場」です。寿永2年5月(1183年)、倶利伽羅の合戦の大勝の余勢をかって攻めたてる木曾義仲(源義仲)軍を相手に、敗走する平家軍の中で、ただ一騎、踏みとどまって戦ったのが斎藤別当実盛でした。実盛は木曾義仲幼少時代の命の恩人でしたが、これを秘し、73歳という老齢の身を侮られぬよう白髪を黒く染め、名乗りもあげず戦いました。しかし、奮戦むなしく手塚太郎光盛に討ち取られ、劇的な最期を遂げてしまいます。そのなきがらを葬ったと伝えられているのが、ここ「実盛塚」です。伝説では応永21年(1414)に時宗14世遊行上人が篠原の地を巡錫中、実盛の亡霊があらわれ救いを求めたので、上人が回向したらたちまち成仏したといわれ、世阿弥作の謡曲「実盛」でひろく世に知れ渡っています。ここ「実盛塚」の周辺には、討ち取られた実盛の首を洗ったとされる「首洗池」や、実盛が髪を染める際に用いた鏡を安置したと伝えられる「鏡の池」など、実盛の伝説にまつわる場所があります。また、隣の小松市には、実盛の死を深くあわれんだ義仲が、実盛の着用の兜や鎧などを奉納し、その供養を依頼した「多太神社」があります。」
 地蔵堂がある
 ↓実盛塚
 ↓塚の松は、実盛の兜の形に似ていると言われる

 ↓塚の裏側