2020年3月18日水曜日

〇2016/5/3(火)岡山県総社市「寶福禅寺」 雪舟が少年時代に小僧に出された寺。絵ばかり描いて修行に身を入れないので方丈の柱にしばりつけられ、落ちた涙で足の指先で鼠の絵を描いて感心されたという伝説の寺

〇倉敷市から総社市郊外「宝福寺」に到着。重文・三重塔拝観のため。実はボクは知らなかった、この寺が雪舟が小僧に入っていた禅寺だということを。
↓ 三門(禅宗寺院では普通山門と言わない)


 ↓ 三門を潜ると正面に仏殿(法堂(はっとう))
 本尊は虚空蔵菩薩
 ↓仏殿前から三門を振り返り見る。二本の杉が印象的だが、残念ながらその一本は枯死。
 仏殿側面
 ↓ 仏殿の入口にあった絵

 ↓方丈と庫裏
 方丈
 ↓「方丈 ‥‥画聖雪舟が小僧時代に柱に縛られて涙でネズミの絵を描いたという伝説はこの堂内での出来事であります。しかし、天正三年(1575)備中の兵乱の際、方丈は焼失し、雪舟が縛られたいう柱は現存していません。‥‥」
 ↓方丈前の縛られた雪舟彫像
 足先にネズミがいる
 庫裏
 方丈

 ↓鐘楼。庫裏の前にある
 境内奥に進むと経蔵がある
 ↓経蔵の向かいにあるのがこの石碑

 ↓「雪舟碑 雪舟等楊禅師は約五百年前の人であり、総社市赤浜に生まれ、十二才の時当山に入門し小僧となりました。天性画を好み経巻を事とせず、遂に師僧の怒りに触れて方丈の柱に縛られ、落つる涙を足の親指につけて板敷に鼠の絵を描いたということは有名な伝説です。この碑は昭和三年の建立であり、‥‥碑面を三段に分かち、上段の円相内は雪舟の自画像、中段は雪舟筆宋の育王山の全景、下段は藤井高尚の撰文、頼山陽の筆になる碑文であり、画聖の雪舟、国文学の泰斗たる高尚、漢文学の白眉たる山陽という三大文化人によって成る碑であるため、「三絶の碑」と呼ばれています。」

 ↓「雪舟禅師之碑」
 ↓円内・雪舟自画像、四角内・宋育王山全景

 ↓重文・三重塔 実はこの塔を目当てにここに来た。
 〇様式は室町時代の特色を有する代表的建造物と言われ、凡そ600年前のもの。本尊は大日如来。四天王を脇侍とする。



 ↓この寺を去り際に、門外の一画に少年雪舟と鼠の銅像があったことに気付いた。迂闊だった


 ↓「雪舟 総社市の赤浜に生まれた雪舟は、少年の頃から仏門に入り、井山の宝福寺で修行中、本業を忘れて絵ばかり描いていたので、和尚さんに叱られ、柱に縛られてしまいました。それでも雪舟は、落ちた涙で、床にネズミの絵を描き続けました。これを見た和尚さんはその情熱に感心し、絵を描くことを許したと伝えられています。その後、志を立てた雪舟は、京に上り、さらに中国へ渡って、禅と絵の勉強に励み、ついに国宝「四季山水図」などの数多くの名画を残し、世界的な画聖となったのであります。」
〇「流浪の画家」としては、この寺を素通りしては恥さらしだった。

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