2011年3月2日水曜日

2/27(日)、京都嵐山「嵯峨野路・青竹の間道」「

天龍寺の北門を出ると、青竹の綺麗な竹林が続く。幻想的。その中を竹垣の間道を伝って行くとやがて嵯峨野の常寂光寺、二尊院などに至る。脳裏に焼きついて死ぬまで消えることのない幻想の小道。


2011年3月1日火曜日

2/27(日)、京都嵐山「松尾大社」(1)

大鳥居

神門


外拝殿。神楽殿も兼用か
手水舎
本殿を見る

本殿の屋根

本殿。上の写真集から引用
本殿

2/27(日)、京都嵐山「松尾大社」(2)

御神体の松尾山にここから登山するこの写真集から引用
松尾山山頂の磐座(いわくら)。御神体だろう
滝御前
滝の上に「天狗の顔」が潜んでいるのだが、見えるかな。
神泉
神輿舎。酒樽が積み上げられている
この写真集から引用
勢揃いした神輿。見事
修験者が集まっていた。松尾大社は修験道とも縁が深いらしい。若者が意外と多い。
神事相撲場がある
神田もある

2/26(土)、加賀「白山」

加賀国・小松方面から見た白山。この角度の白山が最も白山らしい。小松市・木場潟公園から見た白山。白山の影が薄すぎる。




2/26(土)、金沢市野田山「大乗寺」

前夜、輪島のホテルに宿泊して土曜日、七尾に戻って来たのが午前十時。好天。昼過ぎ、週末旅行に出立。本日は遠くを探訪できないので近場の金沢の大乗寺を覗いて見ることに。この寺は風情があるので四季の折に触れて探訪してみようと思っている。
山門
「金獅峯」の掲額
仁王門
「東香山」の掲額


仏堂
「大雄殿」の掲額
背後
仏堂内部
法堂(はっとう)
「椙樹林」の掲額
法堂内部
御本尊
この寺の境内に一歩足を踏み入れるとそれだけで身が引き締まる。禅寺としての厳粛と気合を感ずる。開山は義介。義介は曹洞宗大本山永平寺の第三世住職。司馬遼太郎の「街道をゆく・越前街道」では、開祖道元の反伽藍主義に反して大伽藍を整備した俗物性を有する僧として描かれている。反・義介派との内紛が起こり、敗れた義介は永平寺を去る。そして加賀国に行き野々市に大乗寺を創建する。その後大乗寺は戦乱に巻き込まれ金沢の各地を転々とした末に、江戸時代に加賀藩家老本多氏の庇護のもと現在の野田山に落ち着く。義介の高弟たちは能登の永光寺(ようこうじ)、総持寺などを創建していった。イスラム教のシーア派とスンニ派の対立の流れを連想するような話。大乗寺を見る限り義介に俗物性は感じられない。

2011年2月28日月曜日

2/26(土)加賀白山、27(日)京都嵐山嵯峨野、週末旅行

金曜日、輪島で宴会があって宿泊し、土曜日午前に七尾に戻った。昼から動き出して週末旅行へ。始動が遅かったので金沢市野田山の「大乗寺」に寄り、加賀「木場潟」ヘ行って白山を眺めたら夕暮れた。夜は福井県南条SAで泊まった。日曜日は京都の嵐山に行った。先ず「松尾大社」を探訪した。そこから南へ歩いて「鈴虫寺」へ。そこは山門に至る高い石段の途中まで順番待ちの観光客が溢れ出ている始末で即座に断念。流浪の画家の趣味ではない。そこからさらに南して「苔寺」に行ったら、交通整理員から予約なしでは寺には入れないと聞かされて断念。予約制とは怪しからん、予約して流浪するなぞ言葉使いに矛盾がある。吾輩とは無縁の寺。司馬遼太郎の「街道をゆく」の「越前街道」篇の「平泉寺(へいせんじ)白山神社」の文章の中に平泉寺境内一面に広がる広大な美しい苔の見事さに打たれて、京都の苔寺の苔など物の数ではないという表現があった。吾輩はその平泉寺の境内を既に何度か訪れた。今後も折を見て訪ねる。苔寺探訪を断念しても悔いはない。それから「渡月橋」から見える多宝塔を持つ寺「法輪寺」を探訪。やはり渡月橋から見える小さな神社「いち谷・宗像神社」も。さらに上流に遡り「千光寺・大悲閣」まで行こうとしたが、遠くてしかも登山することになると聞いて断念し引き返した。「渡月橋」を渡った。そして「天龍寺」を探訪。その北門を出て青い竹林の間の道を伝って嵯峨野ヘ。「小倉池」の畔に「御髪神社」があった。さらに北に行くと「常寂光寺」に着いた。閑静な佇まいの素敵な寺。さらに北して「二尊院」へ。釈迦如来・阿弥陀如来の二尊は意外に小さく、夕暮れの弱い光のせいもあって御姿は殆ど見てとれない。写真を購入。四時半に山門に戻ったら閉門されていた。嵐山の駐車場に戻る途中「野宮(ののみや)神社」があったので参拝。午後五時半嵐山発、六時半京都東ICに入り、七尾着十時過ぎ。歩行数23,000歩。写真の整理が大変。