山門
「金獅峯」の掲額
仁王門
「東香山」の掲額
仏堂
「大雄殿」の掲額
背後
仏堂内部
法堂(はっとう)
「椙樹林」の掲額
法堂内部
御本尊
この寺の境内に一歩足を踏み入れるとそれだけで身が引き締まる。禅寺としての厳粛と気合を感ずる。開山は義介。義介は曹洞宗大本山永平寺の第三世住職。司馬遼太郎の「街道をゆく・越前街道」では、開祖道元の反伽藍主義に反して大伽藍を整備した俗物性を有する僧として描かれている。反・義介派との内紛が起こり、敗れた義介は永平寺を去る。そして加賀国に行き野々市に大乗寺を創建する。その後大乗寺は戦乱に巻き込まれ金沢の各地を転々とした末に、江戸時代に加賀藩家老本多氏の庇護のもと現在の野田山に落ち着く。義介の高弟たちは能登の永光寺(ようこうじ)、総持寺などを創建していった。イスラム教のシーア派とスンニ派の対立の流れを連想するような話。大乗寺を見る限り義介に俗物性は感じられない。
「金獅峯」の掲額
仁王門
「東香山」の掲額
仏堂
「大雄殿」の掲額
背後
仏堂内部
法堂(はっとう)
「椙樹林」の掲額
法堂内部
御本尊
この寺の境内に一歩足を踏み入れるとそれだけで身が引き締まる。禅寺としての厳粛と気合を感ずる。開山は義介。義介は曹洞宗大本山永平寺の第三世住職。司馬遼太郎の「街道をゆく・越前街道」では、開祖道元の反伽藍主義に反して大伽藍を整備した俗物性を有する僧として描かれている。反・義介派との内紛が起こり、敗れた義介は永平寺を去る。そして加賀国に行き野々市に大乗寺を創建する。その後大乗寺は戦乱に巻き込まれ金沢の各地を転々とした末に、江戸時代に加賀藩家老本多氏の庇護のもと現在の野田山に落ち着く。義介の高弟たちは能登の永光寺(ようこうじ)、総持寺などを創建していった。イスラム教のシーア派とスンニ派の対立の流れを連想するような話。大乗寺を見る限り義介に俗物性は感じられない。
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